ナチュラ倶楽部写真展「大全集」

ネット上のお友達が参加しているので、写真展を見に行きました。
(ナチュラ倶楽部のブログはこちら

フジフイルムのコンパクトカメラ「ナチュラ」で撮った写真を全紙サイズで展示する写真展です。
ナチュラのコンセプトから「日常スナップ系」の作品が多いのだろうなぁというイメージがあったのですが、展示されていた作品の幅は思った以上に広く、また「ナチュラで撮った」ということを除いても、見応えのある写真が多かったように思います。

全紙に伸ばしてしまうと、小さいプリントではわからなかったいろいろなアラ(ピントのズレ、手ブレや被写体ブレ、プリント時の露出補正による色ズレ、レンズの描写破綻など)が見えてしまいます。そういう部分が皆無だったわけではないのですが、コンパクトカメラで撮ったとは思えないような描写の写真が思った以上に多かったです。
というわけで、写真を見ながら最初に思ったのは「ナチュラでもここまで撮れるんだ!」ということなのですが、果たしてそういう感想でいいのかな、という気持ちもありました。その一つは「ナチュラでも」という言い方が、すでにナチュラを格下と見なしているという点です。さらに「ナチュラでもここまで撮れるんだ」という主張すること自体が、そういう意識から来るもので、そこを展示する側がどう捉えているのかな、という気持ちもありました。さらに「ナチュラでも撮れる」ということは、「ナチュラ以外の機材でも撮れる」ということですし、むしろコントロールのきかない(絞りやシャッタースピード、ピント位置などがオートで決まる)ナチュラで撮るのは難しいわけです。そうなると、意識してカメラを持ち歩くような場面(それなりの機材が用意できる場面)では、ナチュラの意義は薄れてしまうな、という考えがあったのです。だから、自分だったら、「ナチュラでもこれだけ撮れるのならナチュラを買おう」ではなく、頑張ってコントロールのきく機材を持っていこうと考えるだろうなと思いました。だから、先ほど書いた「ナチュラだから日常系スナップ」というのは、ナチュラではそれしか撮れないだろうということではなく「ナチュラだから撮れる」ということを強調するなら、その方向が一番説得力があるだろう、という意味なのです。

ナチュラ倶楽部の主催者の方がいらしたので、その辺りの疑問を直接伝えてみたのですが、お話をした感じでは、「ナチュラでも撮れる」というコンセプトの問題点はふまえた上で、「だから」ではなく「でも」の方に意識を置いた展示だという印象でした。ナチュラは確かに初心者向けという位置づけのカメラで、そこからフィルムカメラに入る人が非常に多いけれども、何年かすると「卒業」してしまう人が多くて残念だと。気軽にシャッターが押せ、そこそこの実力があり、失敗の少ないカメラなので、他の機材と一緒に持ち歩いても使い分けができる、というお話でした。

僕の機材に関していうと、サブカメラ的な位置にあるのはコンパクトデジカメです。フィルムカメラだといつ現像に出せるかわからないし、ネガの整理も大変ですが、コンパクトデジカメなら数枚しか撮らなくてもすぐに画像が手に入ります。でも、コンパクトデジカメの撮影素子の大きさだと、背景をぼかして立体感を出す、あるいは中心となる被写体を目立たせるといったテクニックを使うのが難しくなります。ナチュラは35mm版のカメラですから、そういった描写も可能です。フォーマットとしては、デジカメだとフラッグシップ機になってしまうフルサイズ機と同等なのです。

「ナチュラだから撮れる写真」「ナチュラでも撮れる写真」「35mmフォーマットだから撮れる写真」「フィルムだから撮れる写真」色々なことを考えさせられた写真展でした。
僕は機材を語るのが好きなので、機材とそれに付随する撮影の幅についてばかり書いてしまいましたが、冒頭に書いたように、内容的にも見応えのある写真が多いです。この場合の見応えというのは、写した人が何を思って写真を撮ったか伝わる写真ということ。それに全紙で見る写真には、やはり迫力があります。気持ちの伝わる写真を堪能したい方に、ぜひオススメです。

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2011年を振り返って

2011年も、いよいよあと三時間ほどを残すばかりとなってきました。

身内に大病をした人がいたり、職場でごたごたがあったり、色々あった一年ですが、
個人的なことはさておき、今年あったできごとを振り返ってみたいと思います。

まずは、なんといっても東日本大震災があったこと。
当日は鎌倉にいて、歩いて自宅まで戻った話は、このブログでも書きましたが、
計画停電にともなうゴタゴタで、一時は会社がつぶれるかも…という想像まで頭がよぎりました。
原発の今後や防災など、日本の政治や社会のあり方についても、いろいろ考えさせられました。
原発事故の収束や被災地の復興もふくめて、この後何十年もかけて解決していくべき課題を残された気持ちです。

二つ目は、Twitterを始めたこと。
これまでもずっとネット生活をしてきた僕にとって、Twitterはツールの一つでしかないのですが、
それでも、非常に大きなインパクトがあったと思います。
情報発信という面では、ブログよりも気軽にかけることから、発信量が格段に増えたことが一つ。
それから、これまでバラバラに使用していたツールが、Twitterによって一つにまとまった感があること。
情報収集という面では、これまで作品を通してつながっていた作家さんや漫画家さんの生の声を聞けるようになったことが大きいですね。
羽海野チカさんにコメントを頂いたことや、とり・みきさんにRTして頂いたことなど、とても感激しました。
そして、現在進行形のできごと「実況」や、ハッシュタグを使用した「座談会」など、同じ趣味の人たちの集まりを、ネット上でリアルタイムで感じることができました。
特に印象に残っているのは、「GOSIC」「天空の城ラピュタ」といったアニメの「実況」や、スペースシャトル「アトランチス」のラストフライトや皆既月食の時の盛り上がり、「ハチミツとクローバー」の座談会といったところでしょうか。

三つ目は、電子書籍リーダーを手に入れたこと。
もちろん、使用頻度としては、紙の本に比べたらまだまだですが、
本をどのように保存し、整理するかという点で、革命的な一歩になるかもしれません。

それでは、皆様、今年も一年おつきあいいただき、ありがとうございました。
来年も、よろしくお願いいたします。

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電子書籍のメリットは?

電子書籍について「違法コピーが増える可能性がある」というデメリットに対して、有効なメリットが見いだせていない。だから、作家の方も出版社も電子書籍化に積極的になれない、という図式があるのではないかと思います。

一つ前の記事にも書いたように、物理的な収納場所が少なくて済む、というのは大きなメリットだと思います。
電子書籍の利点に「あまり本を読まない層を取り込む」ということがよく言われます。実際、携帯小説などの流行を見ると、そういう部分もあるとは思いますが、電子書籍を「それだけの存在」と考えることはないと思います。
実はよく読む層こそ、電子書籍化のメリットがあるのではないでしょうか。
今回、電子書籍に関する記事を書こうと思って、ネット上の記事をいくつかあたった時に思い出したのですが、村上龍さんが電子書籍の会社を設立したことが話題になった時がありました。その時に、村上さんは「電子書籍ならではの特徴」としてマルチメディア化をあげられていました。つまり、本をそのままの形で電子化しても魅力がないから、新しい付加価値をつけなければならないと考えたのでしょうが、僕個人の感覚としては、普通の書籍を普通の形で電子化するだけで、大きなメリットがある、と思っています。

僕も、本の置き場がなくなるとブックオフに売りに行きますし、試しに読んでみたいと思う漫画を漫画喫茶で読むこともあります。もし、電子書籍が充実して、物理的スペースの制約がなくなったら、こういうことはしないと思います。
ブックオフに本を売りに行く人の多くは「売った代金が欲しい」(だって買い取り価格は異様に安いですもの)のではなく「家の中を片付けたい」ではないでしょうか。電子書籍は普及すれば、新古書店への本の供給量も減るでしょう。
海賊版の話をふくめて、著作権保護機能つきの電子書籍を充実させることで「安く本を読まれてしまう機会」を減らすことができるのではないかと思うのです。

新古書店の話でも、電子書籍化の話でもつきまとう問題に、出版不況という背景があると思います。
もうからないから利益を確保しようと規制を強める、という流れは、歴史上何度も繰り返されてきたものです。
でも、個人的な感覚として、本屋さんにいる人の数が減っているとは思えません。むしろ、大型の書店には、以前より人があふれている感じさえもします。
本の出版点数が増えると同時に読者層の細分化が進んで、一点あたり(もしくは出版社あたりとか一作家あたりとか)の販売数が減った、というのは原因かもしれません。
あるいは、出版点数が多すぎて、どんな本が出版されているのか、読者に情報が伝わりにくい。僕は、割とネットで新刊情報を見て、どんな本がいつ販売されているのかチェックしているつもりですが、それでも本屋さんで初めて刊行に気づく本というのがあります。「本屋で気づくならいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、僕は1週間に最低4回は本屋に入るような人間です。どんどん新刊が出て、気づいた時には、すでにその本は本屋さんに並んでない(もしくは目立たない所に追いやられてしまう)という場合は、一般の読者層の場合には多いのではないかと思うのです。
そもそも、よほど大きな書店でもない限り、少し前の本は置いてありません。だから、僕が気に入った作家さんを発掘して、その著作を遡って読む時には、アマゾンやbk1といったネット書店を利用しています。そして、ひどい場合には、過去の著作が絶版になっていて、ネット上の古書店で検索して購入、ということも少なからずあるのです。
もちろん、出版不況であるからこその出版点数の増加なのでしょうが、その自転車操業の循環をどこかで止めないと、幸せな状況はこないのではないかな、と思います。
「在庫」という物理的な制約がなく、「絶版」を減らし「復刊」を容易にする電子書籍の存在は、そこに風穴を開けうる存在になると思うのですが、どうでしょう?


■以前書いた電子書籍に関する記事「本にまつわる雑誌記事」

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スキャン代行業者に対する提訴について

12月20日、スキャン代行業者2社を著作権侵害だとして一部事業の差し止めを求める提訴が東京地方裁判所に提起されました。原告は、浅田次郎氏・大沢在昌氏・永井豪氏・林真理子氏・東野圭吾氏・弘兼憲史氏・武論尊氏。この件がきっかけで、Twitterのタイムライン上でも、電子書籍に関するさまざまな意見が目に入るようになりました。僕自身も、何件かつぶやいているのですが、この件に関しては、ブログの記事という形でまとめておきたいと考え、この文章を書いています。

まず、僕自身の電子書籍の利用状況を簡単に説明しておきます。
今年の9月にソニーの「Reader」という電子書籍端末を購入し、実際に何冊かはこの機器を使用して本を読んでいます。しかし、紙媒体の本と電子書籍を比べると、圧倒的に(きちんと数えてはいませんが、9対1くらいの割合で)紙媒体の本を購入しています。
そもそも、僕が電子書籍の使用にふみきった理由は二つあります。
一つは、自宅の本の置き場がかなり苦しいこと。現状で苦しいのですから、僕があと40年生きるとして(現在45歳)、この倍の本を購入することになったら、とても収納しきれるものではない、という焦燥感があります。実際、興味があって「購入しようかな」と思う本でも、「置き場を考えるとやめよう」と思う本がかなりあります。せっかく購入した本でも、置き場がないために定期的にブックオフに売りにいかなければならない状況です。
もう一つは、電子書籍でしか出版されない本の存在です。個人出版の本ではこの手の本が非常に多いのですが、僕が読みたかったのはこの種の本ではなく、豊島ミホさんらが出版した「文芸あねもね」という本です。
「本の置き場がない」という理由で電子書籍端末を購入したにも関わらす、相変わらず紙の本を買い続けている理由は「電子書籍版が売っていない」ということです。
電子書籍化に反対する方(主に読者層の方で)の意見に、「やっぱり本は紙で読まないと」「装丁も含めての美しさがあるのが本の価値の一つ」というのがあるのですが、僕も全くその通りだと思います。文庫本で読んで気に入った本のハードカバーを買い足したり、好きな漫画の「完全版」が出ればそちらも購入したりもしているのです。
が、その一方で、物理的な許容量には限界がありますから、「もう今ある本だけを愛して、それを再読するだけで生きていく」(ということができるくらいには蔵書があるつもり)という道を選ぶか、「電子書籍を購入して物理的スペースを節約する」という道を選ぶしかないのです。紙の本が好きだから、紙の本だけを購入して生きていくという道は、少なくとも僕には選べないのです。
僕の家は、残念ながら子どもには恵まれなかったので、妻と二人暮らしです。二人とも本好きなので、本を置くために住環境にはかなりぜいたくをしています。それでもその状況なのですから、子どもがいらして、配偶者に本への理解がない場合などは、本を置くことのできるスペースというのは、もっともっと少ないはずです。
漫画喫茶や新古書店が人気なのは、もちろん「安く読める」ということもあるのでしょうが、「本の置き場に困らない」ということもあるのではないでしょうか。

スキャン代行業というのは、そんな僕にとって「利用してみたい」と思わせる魅力があるサービスです。
本の置き場には困っているものの、1冊1冊に手間をかけて処理していく時間がない。スキャンしたとしても、それを適切な設定で適切な美しさで実行する技術がない。誰かがそれをやってくれるなら、そんなにありがたいことはない、という発想です。
今のところそれを実行していないのは「これから電子書籍が発展してくれば、スキャンするよりそっちを買う方が、読みやすい本が手に入るに違いない」という気持ちと「せっかく買った本にメスを入れるのは忍びない」という気持ちがあるからなのです。その意味では、今回の浅田次郎さんのコメントは、よくわかります。でも、そうせざるを得ない状況もあるのだということを理解して欲しいのです。

今回問題になったのが「複製権」に関するものだということは理解しました。実はこれまで、僕はその点を理解していなかったので、スキャン代行業をなぜ批難するのか、よく解っていなかったのです。
でも、自分でスキャンするのが合法で、他人に代行してもらうのが違法という根拠がもう一つ納得できないのも本当です。昔、どこかの図書資料館で(割と貴重な本をあつかう場所だったイメージ)、資料を傷める可能性があるので、コピーを取る場合には図書館の職員にページを申請して作業してもらう、という経験をしたことがあります。理屈としては、それと同じですよね。

もちろん、デジタル化することによって「違法コピーが出回りやすくなる」というデメリットがあることは重々承知です。でも、今回問題になっているのは、その点ではなく、「複製権」に関するもののはず。
その点では、僕は東野圭吾さんの発言に、まったく納得がいきません。この二点を明らかに混同している発言だからです。
「電子書籍に対するニーズがあり、それに対して出版業界が対応できていない」という事実は、認めてもらわなければなりません。
「本をスキャンすること=海賊版の作成が目的」という理解をされてしまうのであれば、少なくとも、僕の感じている葛藤は、まったく出版側には届いていないということになります。


参考にした記事
■ebookuser「東野圭吾さんら作家7名がスキャン代行業者2社を提訴――その意図」
■ebookuser「スキャン代行業者提訴で作家7名はかく語りき」
■琥珀色の戯言「本の尊厳をこんなに傷つけられる世の中になるなんて」

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TPPと医療制度

TPP関連の話の第2弾は、医療制度についてです。
以前から関心のあった農業と違ってこちらはにわか勉強の感はぬぐえません。が、僕の目にするTPPがらみの医療制度についての話が、かなり強引な論理展開が多いので、それでも疑問を呈さずにはいられないのです。

農業の法人化がTPP以前から議論されているのと同様に、医療制度においても根はTPP以前からあるようで、小泉内閣の規制緩和政策の中でも導入が議論されていた内容だそうです。とすれば、こちらも農業と同じようにTPPという外圧を利用しして、国内の制度を改革する動きであるという側面もありそうです。

医療制度において、TPP参加で変化するであろう点は、主に二点あるようです。それは、混合診療の解禁と、株式会社の参入の解禁です。

混合診療とは、簡単に言えば、保険診療と自費診療を組み合わせた診療です。現在は、ごく一部を除いて混合診療は禁止されており、保険診療を行う場合にはその範囲内での治療が行われ、自費診療の内容をふくむ場合には保険診療と同じ治療を行う場合でも保険診療扱いにはならないのです。
混合医療が導入されると、費用をかけるかかけないかによって医療の内容を変えることができるようになります。逆に言うと、お金の有無によって受けられる治療に格差が生じることになるわけです。
TPPに反対する人たち(=混合医療解禁反対派)が問題視するのはこの部分で、混合医療が解禁されると、医療に不公平が生じるというわけです。
ただ、僕が思うに、保険がカバーする治療内容の範囲を変更しない限りは、「お金をかけることでより充実した診療を受けることができる」という選択肢が増えるだけで、即座に医療レベルの低下につながるものではないはずです。
混合診療の開始によって「医療レベルが低下する」には「医療保険のカバーする範囲」の規定を変えることが前提なのですが、TPP反対を唱える人の主張には、この部分が省略されていて、混合医療が開始される=医療レベルの低下と即断されているケースがほとんどです。極端な場合は、混合医療の「解禁」と混合医療「だけになる」の区別もつけていないこともあるくらいです。
さらに言うと、TPPの交渉内容が「混合医療の解禁」「医療保険のカバーする範囲」を含んでいるのか、含んでいるとしたらどこまで強制力があるのか、ということにも全く触れられていません。僕が調べた範囲では、「混合医療の解禁」は交渉内容になる可能性があるが、「医療保険のカバーする範囲」については国内に決定権があるようです。
僕が冒頭で「強引な論理展開」と言ったのは、この辺りで、本来あるべき様々な条件を、まるで無いように説明してしまうのは、いくら「わかりやすくするため」という理由があるにしろ、少々乱暴すぎるのではないかと思うのです。

現在、医療の現場では人手不足が深刻化しているそうです。その原因は様々あるでしょうが、理由の一つに病院の財政難があると思います。財政難であるが故に人を増やすことができず、低賃金労働・長時間労働が恒常化しているという話も聞きます。混合診療が始まると、病院が利益を追求するために患者の選別を行う、などという危惧もあるようですが、僕は、医療現場の労働条件を良くし、医療の世界に人材を確保するには、病院の経営がある程度利益があがる構造にしなければならないのではないか、と考えています。

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TPPと農業

最近、TwitterでTPPに関することをいくつか発言してきました。
そろそろ140字では書ききれない部分が出てきたので、改めてブログの記事としてまとめてみたいと思います。

TPPには様々な側面がありますが、論点として主に出ているのは、次の二点かと思います。
・非関税化することで外国の安い農産物が輸入され、日本の農業が衰退する。
・TPPはアメリカのシステムをグローバルスタンダードとして拡散するもので、特に保健医療の制度が損なわれる。

最初に断っておきますと、現在のところ、僕はTPPには賛成です。
なぜ賛成なのかについては、これから説明していきますが、僕がTPPについての色々な意見を読む中で感じたのは、
現状を「良い」と考える人はTPPによる変化を嫌い、現状を「改善すべき」と考える人はTPPによる変化を望んでいる、ということです。
考えてみれば当たり前のことなのですが、何を良いと考え、何を悪いと考えるかによって、生じる現象は同じであっても、評価は変わってきます。
ですから、その辺りもふまえながら、説明をしていきたいと思っています。

まず、農業の現状についてですが、カロリーベースで自給率40%というのはよく言われる数字です。さらに、現在の基幹的農業従事者の平均年齢は65.7歳。65歳以上の占める割合は60.4%です(平成21年度 食料・農業・農村白書)。さらに、販売農家数は、平成2年の297万戸から平成21年の170万戸と減少し、中でも主業農家(農業収入が農外収入より多く、かつ65歳未満の農業従事60日以上の者がいる農家)の数は82万個から35万戸と半減以下になっています。
農業就業者数は1990年から2007年の間に91万人減り、31%の減少率です。2008年度の新規農業就業者は6万人で、60歳以上が46.3%。非農家出身者は11.6%で、ほとんどは自分の家の農地を引き継いでいる人たちです。
この数字を見て、TPPに参加しなければ、日本の農業は存続できると思える人は、あまりいないのではないでしょうか。
このまま何もしなければ、農業の高齢化と労働力不足は、さらに進んでいくことでしょう。

農業人口の減少には、様々な理由があると思われます。
高度経済成長以来第二次産業・第三次産業がもてはやされ、農業は前時代的な産業という意識が芽生えました。このような農業に対する否定的な評価は、「食の重要性」が見なおされてきた現在、多少は改善されてきた感があるとはいえ、積極的に農業をしたいという若い層が出現するほどではないかと思います。
もし、新規に農業を始めたいと思う人がいたとしても、農地や農業機械の購入、農業技術の習得など、様々な「壁」があります。
そういった現状を打破する方法の一つに「農業の法人化」が挙げられます。
政府のTPP対策の一つとして「農地の集約による大規模化」が提唱されていますが、家族経営の農家に、農地を集約するだけの資金が充分にあるとはいえないでしょう。
さらに、法人化することによって、非農家出身者で農業を行いたい人は、自分で農地や農具を購入することなく「企業に就職する」という形で農業を始めることができるようになり、新たな労働力を確保することも可能になるはずです。

さて、これまでのところ、TPPに参加することとは直接関係のない話になっています。これらの改革は、TPPへの参加なしでも可能だからです。
TPPについてのwebの記事をいくつか探して読んでみたのですが、その中に「TPPで開国しなければ、という声を聞くが、日本の農産物の関税は充分に低く、開国しなければならないような保護状態にはない」という主張がありました。
もし、その主張が本当であるならば、日本がTPPに参加したとしても、今以上に安い農作物が流入してくるという事態にはならないはずです。逆に、他の国の関税を引き下げることで、日本の農作物が輸出しやすくなるならば、デメリットが小さく、メリットが大きいことになります。

また、TPPで農業が滅ぶという意見では「安い農産物が入ってくる=安い農産物しか売れなくなる」となるようです。
しかし、本当に「安いものだけが売れ、高いものは売れない」という状況になるのかは、消費者の選択にかかっていると思うのです。
日本の農産物が、外国産の農産物に比べて付加価値が高ければ、値段が高くとも売れる可能性があります。安全性とかおいしさとか新鮮さというような付加価値です。
さらに、日本で生産された農産物を購入することが、日本の農業を守り、雇用を確保し、自然環境保全の役割もになうことになるという意識が消費者にあれば、日本産の農作物が選択される可能性は高いのではないでしょうか。
外国産農作物との競争の中で、付加価値を高め、それを上手にアピールする必要性があることが理解されてくれば、日本の農業も良い方向に向かうと思うのですが、どうでしょう。

農業については、地産地消やグリーンツーリズム、地域防災の観点などからも書きたいことはたくさんあるのですが、それらはTPPとは直接の関係がないので、別項に譲ることとします。

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高山・八尾旅行記 06

さて、今回の旅行記もこれで最後です。

越中八尾駅まで戻ると、すでに始発列車の改札を待つ行列ができていました。
今回、僕は飛騨高山からバスで返るので、富山方面への始発には乗りません。「見送りおわら」を撮影するために、駅のホームが見える場所に移動します。
列車の入線を待つ間に、高速バスのネットに接続し、13時30分のバスを8時のバスに変更。思ったよりも疲れていて、午後まで待てる自信がなかったのです。
「見送りおわら」に見送られながら、普通列車で高山に戻ります。乗り越してしまうと大変なので、寝ないように気をつけていましたが、景色を眺めていると、不思議と眠くなりませんでした。
途中、通学の高校生が乗ってきますが、いつもより混雑している列車に驚いている様子です。
高山駅が近づいてきますが、バスとの接続が5分しかありません。急いで地下通路を渡って、駅前のバスターミナルへ。
が、ここで思わぬハプニング。1日300円のコインロッカーに2日預けたら600円で、300円だけ追加すればよいと思っていたのですが、1200円追加しろとの表示が出ているではありませんか。急いでバスの窓口に行って、お金を両替してもらい、コインロッカーから荷物を引っぱり出してバスの乗り込みます。
バスに乗ってからは、ほとんど寝てました。途中、平湯温泉と諏訪湖PAでは起きてトイレに行ったりしましたが。新宿着は13時30分。湘南新宿ラインに乗って東戸塚まで帰ってきました。

今回の「おわら風の盆」、台風に多少影響は受けましたが、それでも充分に楽しむことができました。
一昨年は、八尾の町の地理やそれぞれの町の雰囲気を知ることができましたし、昼間のおわらや夜中のおわらを見ることで、八尾の町の雰囲気に、多少なりとも近づけたかな…という気がしました。
今回も、それは同様ではあるのですが、踊り手さんの表情が、だんだんと見えてきたかな…と思っています。「あの人は一昨年も見た」とか、「昼間も踊ってた人だ」というように、個人を認識できるようになってきた気がします。もちろん、わかるのは数人、という程度ですが。その一方で、相変わらす、東町・天満町・今町・下新町・福島の町流しは見たことがないので、そちらにも守備範囲を広げたい気持ちもありますし、何年通っても、飽きることがなさそうな気がします。仕事の都合で、丸1日見るのが精一杯というのが、歯がゆいくらいです。
それから、今回は、高山に泊まったのですが、そのためにリュックの重さが少し重くなったのと、徹夜した後にせめてシャワーは浴びたかったというのが反省点。徹夜するのでほとんど部屋にいなくても、富山に宿を取って、荷物を置くとか朝シャワーを浴びるとかいう場所を確保するのは大切だな…と思いました。

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高山・八尾旅行記 05

西町を降りていくと、公民館の前に人だかりが…。今年も何かあるかな、と思って見ていると、若者の踊り手グループ(男女混合)が、一升瓶の回し飲みをして気勢を上げていました。で、時々踊りの前にやっているアップテンポの囃しを唱えながら、坂の下の方に下っていきました。ついていけば踊りが見られるかなとも思いましたが、地方がつかないグループだったので、石垣の撮影を先に済ませてしまおうと考え、そちらを優先しました。だいぶお酒が入ってるようでしたしね。
西町の石垣は、ぼんぼりが綺麗で、深夜であるにも関わらず、踊り手らしきグループが何組か、それをバックに記念撮影をしていました。駐車場に降りていく観光客もいるしで、割と人が多いのを、何とかかわしながら、しばらく撮影していました。そして、撮影を終えると、再び西町から鏡町方面に上っていきました。
すると、西町と鏡町の境界にあたる道で、西新町のグループが舞台形式の踊りを踊っているのに出会いました。地方はついておらず、CDラジカセで伴奏を流しての踊りでした。お店のショーウインドウがあって明るい場所だったので、踊りを囲むように観光客が見ています。「最初から見たかったなぁ…」と思いつつ、踊りの後半から最後まで楽しませてもらいました。ポーズが決まると、グループの中で見ている方に回っている人たちとか、周りで見ている人たちからかけ声がかかるなど、踊る側と見る側の関係の近さを感じました。笠を被ってなかったせいか、踊っている側も「うまく決まって良かった」みたいな表情も見られて、すごく良い雰囲気でした。踊りが終わった後、またどこかで踊るかなぁと思い、引き上げる彼らの後をしばらく付いて歩いていたのですが、どうやらこの日の踊りはこれで終わりらしく、ちょっと残念。一昨年の深夜にも西町の夜流しを見たのですが、その時に僕の好きな新踊りを流してくれていて、今年も是非見たいと思っていたので、尚更です。雨さえ降らなければなぁ…と思いつつ曳山会館前まで降りてきます。
蔵並通りを上ってくる鏡町の一行に遭遇しましたが、曳山会館の前の広場で休憩に入ってしまったので、上新町を下って諏訪町へ。そろそろ観光客の数も減って来た頃なので、街並みの写真を撮ろうかなと思ったのです。が、諏訪町についたところで、そこへ下ってきた諏訪町の一行に遭遇。踊りを見ていた時間は短いのですが、なかなか良い写真が撮れました。観光客の数は思ったよりも多くて、前回よりも徹夜組が増えたのではないかと感じました。
そこから、上新町に戻ると、下ってくる鏡町の一行に遭遇。一昨年もこの時間に鏡町の写真を撮ったなぁと思い返します。曳山会館前で輪踊りになり、休憩に入るようだったので、また諏訪町に戻り、東新町まで上りました。東新町では、少人数のグループが、流すのではなく、そこに腰を落ち着けて踊りと歌を披露していました。謡い手さんは、缶ビールを片手にほろ良い気分で、個人の楽しみでやってる領域です。こういうおわらが見られるのも、深夜ならでは。
しばらく、それを聞いた後で、諏訪町を下ってくると、再び鏡町のグループに遭遇。深夜に入ってからでも3回目の出会いです。一昨年、色々な場面を写真に納めようとして、あっちこっちフラフラし過ぎたことを反省する文章を書いたのですが、ここでそのことを思い出し、後は鏡町のグループに最後まで付いていこうと決め、諏訪町を下りきって、上新町の通りを上っていく一行の後につき従って歩いていきます。再び曳山会館の前まで戻ってきたところで解散。それが午後4時頃のことです。
そろそろ駅に向かおうと思い、道を下り始めた頃、町の上から地方のみの流しが下りてきました。服装からすると上新町の方のようです。しばらく、その一行の唄と演奏を堪能した後、駅までの道を下り始めました。後ろの方からは、まだ唄と演奏が聞こえてきます。それを背に、八尾と別れと告げるべく坂を下っていくのは、とても贅沢のように思われました。途中、音もなく一人で踊りを流している女性とすれ違ったりしつつ、駅まで歩きます。前方の空が、だんだんと明るくなってきました。

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高山・八尾旅行記 04

さて、午後6時30分には、西新町の公民館の前でスタンバイしていました。
予定通り、輪踊りが始まりましたが、その終わり頃にポツリポツリと雨が落ちてきました。楽器が濡れてしまうといえkないので、雨は大敵。踊りは中止になり、地方さんも踊り手さんも公民館の中に避難してしまいました。それほどたくさんの雨ではなかったので、いずれは止むだろうと思い、民家の軒先で雨宿りさせてもらいます。とは言うものの、雨がひどくなってきた場合には、富山に引き上げることも検討しなければなりません。祈るような気持ちで、1時間ほど待ちました。
午後7時30分頃、踊りを再開するとの話がありました。とはいえ、雨を警戒して町流しではなく、公民館の前で舞台形式の踊りと披露という形になるようです。舞台形式の踊りを最初から最後まで通して見るのは初めての経験。たくさん写真を撮りましたが、暗い中ではAFが合わないこともあり、いいフレーミングができたにも関わらず、ピントが合ってないなんて写真もありました。それでも、一昨年MFで撮影した時よりは歩留まりが上がってます。
残念ながら、これで西新町の踊りはお終い。夜流しがあることを期待して、次の撮影予定地である西町へと向かいました。
一昨年西町で撮影した時には、公民館から少し上った所にしか場所を取れず、撮影しようとしたら全く光量が足りてないということがありました。そこで、今年は電灯のある所に早めに行って場所取りをしておりました。
しかし、予定表では午後9時頃から町流しが始まるはずなのに、一向にその様子がありません。僕が立っていたすぐ横では、地元の方が縁台を出して座ってらしたのですが、地元の方にも情報は入ってこないようでした。10時を越え、僕がその場所にいるのが2時間近くなってきた頃には、その方が同情して下さって、縁台に腰掛けさせて下さいました。
10時30分頃、公民館の方を見ると、フラッシュがいくつかたかれているのが目に入りました。暗い中で強い光があると、踊り手さんたちの目がくらんでしまうということで、フラッシュは禁止のはずなのですが、なかなか徹底しないようです。が、フラッシュがたかれるということは何か動きのある証拠。縁台に座らせて頂いたお礼を言って、公民館の前まで行ってみます。すると、町流しを終えたグループが、公民館に帰ってくるところに遭遇。あくまでも想像ですが、雨を警戒して、公民館を出た所ですぐに交差点を曲がってしまい、短い距離で町流しをしたようです。二年前にも同じような場面に遭遇して、フレーミングは良くてもピントを外しまくって悔しい思いをしたのですが、今回は数枚、いいカットが撮れました。
この時点で午後11時くらいです。西町から再び坂を上り、諏訪町を通って上新町に出ます。諏訪町を通ったのは、この時間の上新町では大輪踊りが行われているからです。最初に風の盆を見に来た時には、駅に向かおうとした時にこの大輪踊りの時間帯に当たってしまい、観光客の後ろをすり抜けて歩くのに、大変難渋したのです。曳山会館前でトイレを借り、さらに西新町まで上っていくと、こちらでも輪踊りを行っていました。浴衣姿以外の一般の方がまざっているのは、上新町と同じですが、人数はかなり少なめ。地元の方が中心のようでした。午前0時の終了まで輪踊りを見ていたのですが、踊り手の方の同級生(か同僚)らしき人たちが声をかけて、一緒に写真を撮るなどの「地元のお祭り的雰囲気」が漂っていました。
さて、そこからお隣の東新町に入ると、東新町のグループが町流しを行っていました。何度か町を上ったり下ったりを繰り返した後、休憩に入ります。休憩に入ったのを見計らって、また西町へと下っていきました。
一昨年、この時間に鏡町・西町付近で、少人数の若手グループが踊っているのを見かけて、その雰囲気が良かった覚えがあったからです。それに、西町の石垣の夜の風景を撮っておきたいというのもありました。
この辺りから、深夜の部に突入です。

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高山・八尾旅行記 03

「ひだ3号」が越中八尾駅に到着したのは12時9分。
「風の盆」の初日なので、駅前の屋台もまだ組み上がっていない状態でした。駅前には曳山会館前まで行くコミュニティバスが止まっていましたが、「もし深夜に雨が降っても開いていそうなお店を見つける」「もしカメラのバッテリーが切れてしまったら充電させてもらえそうなお店を見つける」というテーマがあったので、歩いて坂道を登ることに。
まだ交通規制が始まる前なので、今のうちに荷物を運んでおこうというお店の方や地元の方の車が多く、道はかなりの混雑具合でした。

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東町まで上がってきた所で、体育館に無料休憩所が設けられているのを発見。体育館に茣蓙がしいてあり、おわらが始まるまで寝転んで休憩している人の姿が幾人がありました。入り口で案内していた方に「夜にカメラのバッテリーが切れたら充電させていただけないでしょうか」と聞いたら「充電器をお持ちで、コンセントを使うだけならどうぞ」と言って下さいました。休憩所は夜の11時までなので、それまでの撮影でバッテリーの減りを考えて、必要なら充電させてもらおうと考え、一安心。
安心したところで腹ごしらえを。西町にある「高野」という手打ちおそば屋さんに入りました。これまで八尾に来た時には、屋台の焼きそばとか、富山駅前のコンビニで仕入れたおにぎりとかしか食べていなかったので、きちんとしたお店に入るのは初めての経験。冷やしとろろそばをいただきました。
さて、旅行の前に観光協会のホームページを見たら、今年度のパンフレットのPDFが置いてあったのですが、それを見て驚いたのは、各通りでどの町が何時ごろに町流しをする予定か、あらかじめ案内があるんですね。まぁ、その方が観光する側としてはわかりやすいのですが、踊る側の都合で予定を変更したりするのがやりづらくなるのではないかという余計な心配も…。というわけで、今年は事前に、八尾入りした後の行動予定が、大体決められているのでした。
3時から踊りが始まる予定なので、その前に鏡町のおたや階段下にスタンバイします。階段に腰掛けて鑑賞するのを好む方が多いらしいのですが、僕は階段を写真の背景に入れたい派なので、階段下の方に場所を取ります。初めて来た時に、待つ時間が長いことを学んだので、リュックにはキャンプ用の折りたたみイスが装備ずみ。座って本を読んでおりました。隣は女性ばかりの団体さんだったのですが、「どこから来たのか」とか「おわらは何回目か」とか、そういう話題で盛り上がったりもしておりました。
3時少し前、予定にはなかった鏡町の輪踊りが始まりました。本格的に踊る前の肩慣らし、みたいな感じです。幼稚園生くらいの子どもも混ざっていて、いかにも町内会っぽい雰囲気の踊りで、それはそれで味があったりします。

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鏡町のグループが、他に移動して輪踊りを始めると、そちらについていってしまった人もおりましたが、僕は引き続きおたや階段下で待機。西新町と上新町の踊りがやってくるのを待ちます。
西新町は、一昨年の深夜に夜流しのグループに遭遇し、新踊りの町流しを堪能させてもらった思い出があります。今回の行動計画表でも、たくさんお付き合いさせて頂く予定だったりします。上新町は、初めておわらを見た2007年に、唯一きちんと見ることができた町流しでした。2009年にも同じ場所で町流しを見て、こちらも思い入れのあるグループ。予定表を見る限り、1日は夜の大輪踊りのみのようなので、踊りを見ることができるのはこの時間のみなのでありました。
上新町の輪踊りが終わったところで、東新町に移動。予定表では、鏡町と西新町がここで踊る予定なのです。おたや階段は人でいっぱいなので(夜の鏡町の踊りまで場所取りをする模様)、階段はのぼらず、裏道を通って上新町に向かおうとすると、鏡町町内で鏡町グループの輪踊りに遭遇。しばらく撮影します。その後、東新町に向かうと、そこでは西新町の町流しが始まっていました。
その後、西新町に戻ると、そこでは東新町のグループが輪踊りを踊っていました。輪踊りが終わったと思ったら、少し場所を移動して女性グループが舞台形式の踊りを披露。ちょうど僕が撮影していた場所のすぐ横で踊りが始まったので、今までにない近い距離で踊りが見られてラッキーでした。

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その踊りが終わる頃には、そこから少し登った西新町の公民館前で、西新町のグループが舞台形式の踊りを披露している様子。僕が坂を登る頃には、前半は終わってしまっていたようでしたが、それでも後半の踊りを堪能。その後、輪踊りがあって、休憩前の踊りは終了です。

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今年のおわらは非常に蒸し暑く、これまでになく汗をかいてしまいました。一応着替えは持っていたのですが、雨に降られた場合を想定して、ここで使い切ってしまうわけにはいきません。そこで、おわらのTシャツを売っている服屋さんで、Tシャツを購入しました。僕が初めておわら風の盆を見たのは2005年ですが、その時にはそんなにおわらグッズがなかったように思いますが、今回は、ずいぶんとグッズが増えた印象です。それから、以前は普通の民家の前に屋台を出して食べ物やおみやげ物を売っているという感じだったのですが、いわゆる「お土産物屋さん」が増えた感じ。観光地らしいたたずいまいになってきたといえばそうなのですが、街並みの魅力としては微妙なところです。
この頃になると、次第に空が暗くなりはじめ、ぼんぼりの明かりが存在感を増してきます。西町の屋台で焼きそばと牛くしを頂いた後、街並みの写真を撮りつつ、曳山会館前まで戻り、裏手でTシャツを着替えさせてもらいました。

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