プリモフレックスのレストア(後編)

プリモフレックスのレストアの後編。

まずは、フィルム室の清掃。

プリモフレックス レストア 07

こんな感じで汚れていたので、綿棒+無水アルコールで拭きます。

次は、テイクレンズの清掃。
クロスオープナーという器具を使って、フィルム室側からレンズを外します。

プリモフレックス レストア 08

こんな感じで汚れていたので(周辺の白いモヤモヤは手袋の毛です。カビではありません)、オキシドール+綿棒の後、無水アルコール+レンズペーパーで清掃。

プリモフレックス レストア 09

本体についている3枚玉の真ん中のレンズをフィルム室側から見るとこんな感じです。
絞りとシャッターの向こうに真ん中のレンズがあるので、
絞りを開放、シャッターをバルブにして、裏側からレンズをふきます。
絞りにもオイルのようなものがついていたので、軽く清掃。あまり強く拭くと壊れそうなので、自重しました。ちょっと汚れが残っていますが、開放測光+自動絞りで撮影する訳ではないので、よしとしましょう。

プリモフレックス レストア 10

前玉は、ねじ込み式の押さえがついているだけだったので、工具を使う必要もなく簡単に外せました。
真ん中のレンズの表側もふいたので、3枚のレンズをすべて清掃できたことになります。
貼り合わせのない3枚玉だからできる芸当ですね。

まだ試し撮りができていないので、整備の結果がどうだったかはわからないのですが、
大きな失敗もなく、無事に終了した感じです。
とはいうものの、くれぐれも素人修理は自己責任ということはお忘れ無く。

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プリモフレックスのレストア(前編)

Yahoo!オークションで入手したプリモフレックスですが、年代物だけあって、かなり汚れていました。
ピントグラスを覗くとほこりが見える状態で、しかもレンズにも曇りがあります。
35mm判のカメラはモルトの張り替えもできない僕ですが、二眼レフは、筐体が大きいのと構造がシンプルなのとがあって、これまでにもモルトの張り替えやスクリーンの清掃はやったことがあります。
というわけで、あちこち分解して清掃してみました。

なお、当然のことですが、素人修理は自己責任です。自信のない方や、絶対に失敗したくない方は、プロの修理屋さんにまかせましょう。二眼レフの整備は2万円弱くらいが相場のようです。

さて、まずは、ピントフードを外します。
これは、ピントフードを固定しているネジをはずすだけ。
ただし、プリモフレックスは、銘板が押さえになっているらしく、銘板も外さないと(これもネジを二本外すだけ)ピントフードが外れませんでした。

プリモフレックス レストア 01

ピントグラスは、すりガラスとフレネルレンズの2枚組です。
フレネルレンズの溝がある側と、ピントグラスのすりガラスになっている側が合わさった形で、フレネルレンズを下から板バネがおさえる形で入っています。
板バネをはずしてピントグラスを取り出し、無水アルコールで拭いていきます。フレネルレンズは、清掃用の綿棒を使って、溝にそって円を描くように拭いていくと、きれいになります。

プリモフレックス レストア 02

フレネルレンズには、TOKOBRIGHT の文字が。このフレネルのおかげで、プリモフレックスのピントグラスはみやすいと評判なのです。

次にビューレンズの像をピントグラスに導く表面鏡の清掃です。
ただし、この機体の表面鏡は、かなり傷みが激しく、端がはげていたり、カビのような白いものが表面にあったりしました。

プリモフレックス レストア 04

ヤフオクでは、交換用の表面鏡を売っている人もあり、いざとなったら交換かなと思っていましたが、表面鏡を取り外してみると、裏も鏡になっていました。

プリモフレックス レストア 05

裏から鏡を支えている板バネのあとが少し残っていますが、表の面に比べたらかなりきれいです。
とりあえず、裏返しにして、元の位置に固定しました。

ちなみに、表面鏡を外した状態はこんな感じです。

プリモフレックス レストア 03

表面鏡を戻す前に、ここも綿棒で清掃しました。

プリモフレックス レストア 06

表面鏡は、金属の板で押さえてありますので、ここのネジを外して取り外しますが、ネジの切れ込みの幅がかなりせまく、精密ドライバーでも厳しいくらいでした。

ビューレンズの裏側を無水アルコールで拭いてから、ピントフードを戻します。
ピントフード側の整備はこれでおしまい。

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二眼レフ

最近、二眼レフ熱が高まって、中野の中古店でミノルタ・オートコードLMXを、ヤフーオークションでプリモフレックスIIIAを購入しました。
一年ほど前にヤシカマット124Gという二眼レフを購入し、ちょくちょく使ってはいたのですが、ここに来て、ヤシカ以外の機種も欲しくなってしまったのです。

YASHICA Mat 124G

ミノルタ オートコードLMX

そもそも、僕が二眼レフに手を出したのは、6×6判のフォーマットを使ってみたかったからでした。
ヤシカマットで6×6判を使ってみたところ、思った以上に構図が作りやすくて気に入ってしまい、同じ6×6判のブロニカにも手を出しました。
二眼レフはレンズ交換ができないのが普通なので、システムとして考えた場合、ブロニカの方が対応力が広いわけです。

ところが、ブロニカの難点は、その大きさと重さです。デジタル一眼レフと一緒に持ち歩くには、かなり気合がいります。
ところが、二眼レフの場合は、デジタル一眼レフ+交換レンズと一緒に持ち歩いても、中型のカメラバッグにおさまってしまうんですね。古臭いカメラではありますが、高性能な割にコンパクトというのは、現在でも通用する二眼レフの特長ではないかと、最近気が付きました。
9月に横浜開国博に行った時に、デジタル一眼+二眼レフで出かけて、使い勝手が良かったので、今後、この組み合わせを多用しようかなぁと思い立ったのが、今回の二眼レフ熱につながっているわけです。

象の鼻パーク 二眼編 02

象の鼻パーク 二眼編 03

35mm判のフィルムカメラにも愛着はありますが、デジタル一眼で撮っていて、フィルムカメラとの差を感じることは、ほとんど無くなりました。この辺の感じ方は、人によって差があるでしょうが、僕は、デジタル一眼と35mm判のフィルムカメラを両方持ち歩いて使い分けるやり方は、そろそろ必要ないかなと思っています。
ただし、中判となると、正方形フォーマットの魅力とあいまって、デジタルとは違う味があるなぁと感じます。
さらに、大きなスクリーン像とアナログ的な操作感が、写真を撮っている時の安心感や高揚感につながります。

デジタル一眼にも、高感度に強いとか、パソコン上で色や露出の調整がしやすいとか、コストを気にせずにどんどん撮影できるとか、色々なメリットを感じていますので、僕はフィルムカメラ至上主義ではありません。しかし、一見すると駆逐する側とされる側のように見える中判のフィルムカメラとデジタル一眼は、組み合わせて使うと、実はとても相性がよいのではないかと、個人的には思っています。

世の中では、デジタルカメラの普及でフィルムカメラおよびフィルムの衰退が懸念されていますが、僕のようにデジタルカメラを使い始めて、MF一眼や中判カメラの魅力を再認識している人が、意外と多いのではないでしょうか。
市場の縮小は避けられないにしろ、全くなくなってしまうことはないだろうと思っているのですが、どうでしょう?

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PC環境の構築

さて、今回はPCの環境構築のお話。
バイオWを注文したのがウィンドウズ7発売の4日前だったのですが、少しでも早く代替機が欲しかったのと、ソフトの互換性が心配だったので、XPの機種を購入しました。

そして、まず行ったのが、リカバリーディスクの作成と、それを使用してのパーテーション分割と再インストールです。
僕は、パソコンのハードディスクは、必ずパーテーションを区切って、OSやアプリケーションソフトはCドライブに、データはDドライブに保存するようにしています。これは、PCに異常があって、システムが立ち上がらなくなったり、OSの再インストールが必要になったりした場合でも、データが消えてしまわないようにするためです。
そして、Dドライブを丸ごとバックアップしておけば、ハードディスクがクラッシュした場合にも対処することができます。

さらに、マイクロソフトオフィス(未だにXPを使っています)とか一太郎とか、ATOKとかをインストール。ATOKは、辞書や設定をバックアップして書き戻すことができるので、すぐに同じ環境を構築できるのがよいですね。
さらに、ブラウザ(FireFox)・テキストエディタ(MMエディタ)・ファイラ(FileVisor)・ランチャ(bluewind)・クリップボード管理(clipout2000)などのオンラインソフト群のインストール。
セキュリティーソフトは、マカフィーの3ユーザ版を使っているので、追加費用はなし。ネットから最新版を落としてインストールします。

新しいパソコンを買うと、環境の構築が大変ですが、今回はここまで半日くらいでしょうか。昔、ウィンドウズ95をフロッピーディスクをとっかえひっかえしながらインストールしていた時代から比べると、楽になったもんだなぁと思います。

メインのパソコンはデスクトップなので、メーラーはGメールでいいし、ホームページは放置気味なのでホームページ作成ソフトもなし。ブログはエディタで書いたものをコピペだし、いざとなったらオンラインでも書けます。
RSSリーダは「はてな」だし、mixiもCameraPeopleもブラウザで見えるし、スケジュール管理はYahoo!カレンダー…。と考えていくと、アプリケーションはネット上にあってPCにインストールしなくてもよくなる時代は、着実に近づいているんですね

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ソニーの話

SONYの話を書いたので、ついでにメーカー話を。
僕らの世代にとって、高校時代に登場したウォークマンは画期的な商品でしたし、ウチのテレビは代々SONY製なので、メーカーの印象は悪くないのですが、PCに関しては、僕はSONYは否定派でした。ハードはともかく、ソフトの独自仕様が多すぎるんですよ。
父親がなぜかデスクトップPCでバイオを使い続けているのですが、わけのわからないソフトが多いのです。何のフォーマットを使っているのかわからないのでバイオでしか再生できない動画とか、データの保存先が my document 以外に設定できないソフトとか…
PCの調子が悪いとか、ソフトの使い方がわからないとかいうと、それを解決する仕事は僕に回ってくるので、SONYのパソコンには、ずっと悩まされ続けてきたのです。

ビデオテープのβ方式と同じで、独自様式にこだわるのはよろしくないと思うんですが、そういう点では懲りない会社ですね(笑)
ただ、バイオPやバイオWを見る限りでは、そういう悪いクセは、多少かげをひそめたようではあります。
技術を活かすことと、多くの人が使い易い製品を作ることの二つで、うまくバランスをとって欲しいものです。

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VAIO W購入

職場で使っているノートパソコンの調子がおかしくなったので、急遽、SONYのVAIO Wを購入しました。
突然、ネットワークアダプタを認識しなくなり、再起動や削除・再認識の作業を行っても復活しなかったので、ハード的な故障にちがいないと思ったのです。
しかし、ネットでVAIOを注文した翌日に、何事もなかったように復活するという…。
このパソコンは妻が2001年に買ったのをお下がりでもらったという8年物のパソコンなので、バッテリーはすでにへたっているし、メモリもCPUも貧弱でウイルス定義の更新中に10分以上かかる非力ぶり。買い替えてもいいかな、という時期ではあるので、まあ、いいんですけど…。

ところで、A4くらいの大きさでまあまあ安く買えるノートPCが他にないことはないのに、仕事で使うにはやや小型なネットブックを選んだ理由というのは、PCを持ち歩けると便利な場合もあるかな…と思ったからです。
デジカメで撮影した画像をその場で確認したり、メディアがいっぱいになった時にバックアップをとったりできたら便利かなぁ…という下心もあったのです。

バイオを選んだのは、妻が最近バイオPを購入して、こういうPCを作ってくれるなら、SONYを支持してもいいかなと思ったことと、ネットで様々なカスタマイズを受け付けてくれる所が気に入ったからです。モバイルパソコンの長時間バッテリーさえオプションにないメーカーもありますからねぇ…

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おわら風の盆2009 終章

今年の「風の盆」の記事のまとめです。

僕が、これほど「風の盆」に惹かれるのは、どうしてなんだろう、と考えることがあります。
踊りや歌、楽器演奏の素晴らしさは、もちろんあるでしょう。
古い町の姿を残している八尾の街並みの美しさもあるでしょう。
写真を趣味にするものとして、それらの姿をしっかりと写し止めたいという気持ちもあります。
そして、「おわら」を守り、育んでいる地域社会のあり方への賛美の思いもあります。

ただ、よく考えてみると、僕は、あくまでも傍観者でしかありません。
もし、風の盆が素晴らしいと思うなら、八尾の町づくりが素晴らしいと思うなら、
自分の属している社会においても、同じようなことが実現できるように、考えるべきなのでは…
という思いがあります。
とは言っても、安易に「おわら」を広めたいという意味ではありません。最近、よさこいや阿波踊りがあちこちの祭りで行われているのを見ますが、僕は、そういう風潮があまり好きではありません。古いか古くないかはともかく(おわらも、今の形になったのは昭和に入ってからのことのようです)、地元ならではのオリジナル性は大切にしたいと思うのです。

これは、里山の風景や、農のある風景を撮影する時にも思うことなのですが、
こういった伝統的なものを守るためには、ある種、現代社会で都市に暮らす人間が当たり前に享受しているものを、享受できずに生活する必要があるはずです。
ふだんは、都会で生活している人間が、そういった部分に無頓着に「古い街並みはいい」「里山の風景はいい」と吹聴するのは、どこか不遜な所があるのではないか、という迷いが常にあります。

とりあえず、傍観者は傍観者なりに、自分の素晴らしいと思うものの存在を訴えていくことに意味があるのではないかと考えて、自分を励ましてはいるのですが……。
僕は、長年、自分を「文章の世界」の人間だと思ってきたのですが、最近は「写真」での自己表現の機会がずいぶんと増えてきています。
「写真」にしろ「文章」にしろ、それが持っている「伝える力」が、それほど無力ではないということを、長年それを糧に生きてきた人間としては、信じていきたいところです。
そして、自分が暮らしている場所の中で、それらを使ってどんなことができるのか、ということも模索していきたいと考えているのです。

そんなわけで、八尾から帰ってきた今、鎌倉や、横浜や、戸塚の写真をしっかり撮っていこうという気持ちになっているところではあります。

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おわら風の盆2009 Part6

鏡町の輪踊りを見終えたのが、午後5時の少し前でした。
午後5時から7時までは、町流しはお休みなので、ここで腹ごしらえをしに、曳山展示館前に戻ります。
テントで売っているおそばを頂き、ひと休み。
とは言っても、それほど疲れを感じているわけでもなく、ほどなく西町へと向かいました。
午後6時には西町の会所の前に到着していたのですが、まだ1時間以上は待つ必要があると思われます。
こういう時のために、リュックにキャンプ用の折りたたみイスを入れてきていたので、
それに座って文庫本を読んでいました。
しかし、ずっと座っているのに飽きてきてしまい、街並みの写真を撮りにフラフラとしている間に、西町の会所の前は人でいっぱいになっていました。
それでも、なんとか出口の近くに陣取っていたのですが、一つ大きな誤算が…
ちょうど街灯が途切れる辺りにいたために、光量が足りなくて、写真が真っ暗になってしまうのです。
踊りの列が通りすぎていくのを待って、踊りの列とは反対に歩き、となりの東町を上っていきます。
踊りながら歩くよりは早く移動できるだろうから、踊りの列の先回りをしようというわけです。
というわけで、西町と上新町の境目あたりまで行って待っていたのですが、さすがに良い場所を確保することはできず、この作戦は失敗でした。通りの明るさは、場所によってかなり違うので、そこまで気をつけねばいかんなぁと反省した次第です。

さて、西町の町流しを見た後は、上新町です。
ここは、一昨年、唯一きちんと見ることのできた町流しですが、それだけ思い入れがあります。
八尾郵便局のとなりにある電気屋さんの前に陣取ったのも、一昨年と同じです。
上新町の町流しがやってきたのが、8時30分ごろ。Part5で書いた計画は、ほぼ正しかったことになります。

おわら風の盆2009 20

おわら風の盆2009 21

上新町の町流しは、新踊りで構成されていて、少し動いてはそこで踊り、また移動して踊り、という感じで進んでいきます。
一昨年もそうだったのですが、僕の陣取った場所は、目の前で男踊りが踊られる場所で、動きを追いかけながら夢中でシャッターを切りまくります。まぁ、例によって、MFでのピント合わせがうまくいかず、上がってきた写真にはロクなものがなかったわけですが……。
また、あまり距離が近いと、一人が画面いっぱいに入ってしまい、「踊りの列」という構図にならないことに気づきました。立ち位置を工夫して、少し左右の踊りを撮るつもりでいるのが良いかもしれませんね。

おわら風の盆2009 22

前の晩が徹夜だったので、2日は早く切り上げようと思っていたので、上新町の町流しを見送った僕は、西町の方へと下っていきました。
そうすると、ちょうど、踊りを終えた西町のグループが、公民館に帰ってくる所に出会いました。
公民館の前で踊りをやめてしまうのではなく、踊りを踊りながら、公民館の入り口に入っていきます。
西町の公民館は、格子窓のついた立派な建物で、その中に踊りの列が消えていく様には、なかなか美しいものがありました。
最後に、地方の方が公民館の前で演奏と歌を披露し、終演です。

その後、屋台の集まった場所(町の中に何カ所か設けられています)で広島焼きを食べて、夜食にしました。
そして、いよいよ八尾ともお別れだなぁと思いながら、坂を下っていったわけですが、その後にも、実は様々な出会いが待ち受けていたのです。

下新町の八幡社の前を通りかかると、ちょうどステージで踊りが踊られていました。
僕は、それまでステージでの踊りにはあまり興味がなかったのですが、八幡社のステージは、ちょうど鳥居を背景にし、舞台効果満点です。
すでにたくさんの人が集まっていて、人の頭越しにしか写真を撮ることができませんでしたが、次の時には、こちらのステージも見てみたいなぁと思いました。

さらに下っていくと、天満町でも輪踊りが踊られていました。

おわら風の盆2009 23

これまで、下新町の坂を登っていく道しか通ったことがなかったので、天満町は未知の領域です。
まだまだ、八尾とおわらを知るには、修行が足りないようです。

福島の町まで降りてくると、道の両側に屋台が広がり、わたあめを買う子どもたちや、射的・輪投げをして楽しむ子どもたちの姿が目に入ります。
踊りだけではなく、普通のお祭りのように、夜店を楽しむ側面も、風の盆にはあるのでしょうね。

富山行きの列車に乗る頃、駅前のステージでは、福島の踊りが始まろうとしていました。
心残りはあるものの、今年は、これで帰るより他ありません。
また、いつか、という言葉を胸に、駅前のステージが見えなくなるまで、僕は車窓を眺めていました。

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おわら風の盆2009 Part5

東新町から西新町の通りへ抜けると、上新町と諏訪町のグループが休憩中でした。
Part4で僕が書いた男の子の台詞は、この時に聞いたものです。
しばらく待っていると、上新町のグループが輪踊りを始めました。
どうも、日のあるウチの踊りは、子供たちを交えた輪踊りが主役のようです。

おわら風の盆2009 18

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あちこち場所を変えながら、輪踊りを踊っていきます。
上新町の輪踊りを2回ほど見た所で、今度は諏訪町の輪踊りが始まりました。
昼間は、夜ほど多くの見物客がいないし、輪踊りは町流しとちがってしばらくは同じ場所で踊りますので、
踊りをじっくり見たい人には、お薦めです。
写真を撮る立場で言うと、やはり明るい場所の方が撮りやすくはあります。
女性の浴衣のあでやかさ、なんていうのは、やはり色がきちんと出る昼間の方がよい感じです。

そして、坂を下っていくと、鏡町の石段下の広場で、輪踊りが始まりそうな雰囲気です。
石段の上はすでに人がたくさん集まっているので、階段横の坂道を通って、反対側に回り込みます。

おわら風の盆2009 19

鏡町の女性の浴衣は、白地なんですね。
一昨年は、町の名前も、ましてや衣装や紋のちがいなども、全く知らずに見た「風の盆」でしたが、
今年は、一日じっくり見たおかげで、いろんなことがわかるようになった気がします。

鏡町の輪踊りが終わった後、町の方が、夜の町流しのことをお話されていました。
演舞場での踊りが終わった後、休憩してから踊るので、午後10時過ぎになること。
場所取りは、絶対にしないで欲しいということ。物を置いてある場合には撤去するということ。カメラのストロボは使用禁止だということ。注意しても聞かない場合には、強制的に退去させる場合もあるということ。
これらのきまりは、安全を確保して、風の盆をみんなが楽しめるようにするためのものなので、ぜひ協力して欲しいということ。
昼間の、まだ時間に余裕のある時期だからかもしれませんが、ご自分の気持ちをしっかり伝えようという熱意のあるお話でした。
ただ、こういったお話を熱心にしなければいけないような状況が、現在の「風の盆」にあることは、事実なのでしょうね。実際、踊りの終わった後、僕が登っていった石段の上には、場所取りのためのレジャーシートがびっしりと貼られていたのですから…

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おわら風の盆2009 Part4

2日の始発で富山のホテルに戻った後、11時くらいまで寝ていました。
僕は、もともと夜型の生活で、午前3時ごろ寝て午前9時ごろ起きるということも珍しくありませんので、
今回の徹夜も、それほどしんどくはありませんでした。

シャワーを浴びて、ホテルを出発し、富山駅ビルの食堂で、氷見うどんとにぎりのセットをいただきました。
そして、再び八尾についたのは、午後2時ごろ。
これまでは十三石橋を渡って、下新町の通りを上っていったのですが、今回は井田川の左岸を歩いてみました。
禅寺橋を渡ると、そこには石垣をつんだ「坂の町」の姿が。
井田川沿いに、こんな景色が広がっていることを、恥ずかしながら初めて知りました。

おわら風の盆2009 24

おわら風の盆2009 25

町流しの始まりは午後3時からなので、それまでは街の中を散策しながら、お土産を物色。
実は、昨日、あちこちでおわらのTシャツを売っているのを発見し、ぜひ買って帰ろうと思っていたのです。
あちこち見て回って、結局、上新町の「吉田陶器店」でTシャツと、妻へのお土産にハンカチを購入しました。

一昨年の「風の盆」で、町流しが行われる時間は「演舞場での上演が終わって少し経ってから」ということが多いのではないか、と気づきました。
その仮説に基づいて、本日の予定を組み立てると、午後7時ごろに西町、午後8時ごろに上新町、ということになります。一昨年見た上新町の町流しは是非とも見たかったので、8時になっても西町で見られなかったら、移動しよう、と考えました。
ということで、まずは坂の一番上にある東新町を訪ね、それから西町に戻ることにしました。

町流しの始まる午後3時。ちょうど東新町の公民館前に到着。
この町の女の子の衣装は、田植えの衣装なんですね。

おわら風の盆2009 15

おわら風の盆2009 16

一昨年の「風の盆」でも、子どもたちの踊るおわらを町の人たちが温かく見守る様子が印象に残っていたのですが、昼間の町の様子を見ると、その印象がいっそう強まりました。
大人たちだけではなく、10代の後半から20代前半くらいの若い人たちが、子供たちの踊りをリードしたり、移動の指示をしたり、休憩の時には飲み物を配って歩いたり、ということをしている姿も見かけました。
これが、お祭りの場という特別な場だからなのか、それとも普段からそういう交流が行われているのかは、僕にはわかりません。普段からこのような交流があるのであれば、それは素晴らしいことだし、もし「祭りの場」だけのことだとしても、普段は行われない世代間交流を促す特別な時間として、子どもたちにとって「風の盆」の楽しさがより深まるのではないかと感じました。僕が子供の頃、お正月に親戚が集まり、年上の従兄弟たちと会えるのが楽しみで仕方なかったように。

休憩している子どもたちの会話をそれとなく聞いていると、ある男の子が「でも、子供の踊りを見に来ている人だっているかもしれないだろ」と、別の男の子に言っています。
「なぁんだ、子供の踊りじゃん」とか言う観光客でも、いたのでしょうか。
子どもたちにとっても、おわらを踊るのは楽しく、そして嬉しいことであって欲しいです。
そうでないと、いずれ、この素晴らしい伝統が、先細りしてしまう可能性だって、無きにしあらずなのですから…。
その言葉を聞いて以降、子供が交ざっている踊りは、最後までしっかり見て、盛大に拍手を送ってあげようと、心に決めたのでした。

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