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「おわら風の盆」に思うこと

「おわら風の盆」を見た感想をまとめてみました。

そもそも、僕がこの祭りに興味を持ったのは、5年前の旅行の時のことです(その時のことは、ホームページのこの記事にまとめてあります)。
その時には「おわら資料館」を訪ねたのですが、シーズンオフとはいえ、館内には僕たち夫婦二人という寂しい状況でした。けれども、それ故に、館長さんが直々に館内を案内して下さり、とても丁寧に対応して下さったのを覚えています。
それまでは、僕は「おわら風の盆」という祭りを知りませんでしたし、この祭りを有名にしたという高橋治さんの「風の盆恋歌」という小説も知りませんでした。でも、町の人たちがこの祭りを大切にしているのだな、という雰囲気は、館長さんの話からも展示の内容からも十分伝わり、いつか祭りの本番を直に見てみたい、と思ったものです。

今回、実際に「おわら風の盆」を見て一番に思ったのは、思っていた以上に大きなお祭りなのだな、ということです。9月2日に富山駅に降り立った時には、臨時切符売り場はもちろん、特設のおみやげ売り場まで開設されていました。構内のスピーカーからは「おわら」の歌が流れ、整理券をもらわないと列車に乗れない、という有様だったのです。
僕は、これまで観光で祭りを見たことが、ほとんどありません(唯一の例外は「博多どんたく」かな)。祭りの時期に合わせて旅行計画を立てるのが難しいということもありますが、僕にとって祭りというのは「人に見せるもの」というよりは、地元の人々にとってのものであって欲しいという気持ちがあるからです。

とは言っても、「おわら風の盆」が観光化されていて、期待外れだった、ということではありません。
確かに観光客は多かったですが、町の人々の様子を見ていると、自分たちのお祭りを自慢げに見せびらかしている、というような雰囲気がありました。坂に沿って並ぶ屋台や飲食店にしても、高校生のアルバイトが手伝っているような様子で、「住民が参加している」手作り感があったように思います。
もちろん僕も踊りは見ましたし、素晴らしい踊りだとは思いましたが、僕がこの祭りを見て感銘を受けたのは、踊り以外の部分も大きかったように思います。
町の電気店では、ステージで演じられている踊りの様子をライブで流していました。それを、地元のおばあさんたちが、店先に置かれた縁台に座りながら見ています。家の前を通る子どもに、近所の人が「テレビで踊り見たよ」と声をかける場面にも出会いました。ステージで踊り終わった子どもたちとそのお母さんたちが、踊り終えた安堵と満足の入り交じった表情を浮かべて、控え室になっている建物に入っていく様子にも出会いました。町の人たちが楽しんでこの祭りを行っている様子も、それが新しい世代に受け継がれていく様子も、一端ではあるのでしょうが、垣間見ることができました。

さらに、道沿いにぼんぼりがともった街並みも美しかったです。それぞれの町内でぼんぼりの形や模様が違っているのも、画一化されていない手作り感を感じました。
僕が、今回の祭りで最も印象に残った風景は、諏訪町の通りで、町流しが登ってくるのを待っている時に見た景色です。家の前に縁台が出してあり、そこに地元の人たちが座って町流しの踊りが来るのを待っています。一階の明かりは消えていますが、二階にともった丸い明かりが、格子窓から見えたりします。夜になって涼しくなってきた風に吹かれて、風鈴が鳴っています。ぼんぼりの明かりが並ぶ向こうに、山の陰から出てきた半月が、ぼんやりと光っていました。夏が終わり、秋が訪れるのを感じさせる、美しい夜の風景でした。

ただ、祭りの雰囲気が良かっただけに、ちょっと気になる点もありました。
この祭りの一つの特徴は「時間が決まっていない」ということです。もちろんステージでの踊りは時間が決まっているのですが、やはり雰囲気があるのは町流しの方です。しかし、この町流しが、いつ、どこで行われるのかは決まっていないのです。そうなると、中には踊りがやってくるのを待ちきれなくて、踊りをやっている方にどんどん移動していってしまう人がいます。踊りの周りには、黒山の人だかりができていて、先導の人が苦労して踊りの通り道を空けてあげないといけません。
日本人の観光は、スケジュールがきっちり決まりすぎている、というのは以前から言われてきたことだと思います。その点で言うと、スケジュールの決まっていない町流しは、見逃してしまう可能性もあるわけです。見逃してはつまらないと思うから、それが余計あせりにつながります。町流し自体が「雨天中止」の行事なのですから、「見られたらラッキー」くらいの気持ちで、焦らず待つということができないと、この祭りは楽しめないのではないかと思います。特に、「○○時到着○○時出発」という観光バスでの観光は、この祭りには似合わないないように思うのですが、どうでしょう。
もう一つは、写真を撮ろうとして、フラッシュを使う人が多すぎるのです。僕たちが踊りが来るのを待っている時に、先導の人に「今、どの辺ですかね」と聞いている人がいました。その人が答えて曰く「ストロボがたくさん光っている所が踊りのいる所ですよ」とのこと。また、携帯を構えて写真を撮ろうとする人も多いのですが、そうすると、液晶画面の白い光が、あちこちに浮かんでいるのが見えます。遠くから見ると、ペンライトが揺れているようです。写真の写りを考えても、フラッシュを使って上手に写せるのは、よほどライティング技術のある人だけでしょうし、そもそも、夜の祭りの雰囲気を台無しにしてしまうと思うのです。

実は、先ほど最も印象に残ったと書いた諏訪町の風景ですが、結局、僕は諏訪町の踊りは見ることができませんでした。坂の下の方で踊っているのは見えたのですが、それがいつまで経っても同じ場所から動かないのです。そして、そこを目指して下っていく観光客の数は増えるばかり。そこまで行って様子を見たわけではありませんが、そこで何が起きていたかは、想像できるような気がします。結局、列車の時間を気にして、踊りを待つのをあきらめて坂を下り始めるしかなかったのです。

実は、この時、僕は大変申し訳ない失敗を一つしてしまいました。
諏訪町の坂の下はかなりの人が集まっていますので、僕らは一本横の通りから帰ろうとしました。すると、そちらの通りでは、一般の観光客もまじえた輪踊りが行われていたのです。そうなると、僕らは、踊りを見ている人たちの後をかき分けるように歩くしかありません。
さらに、その下の西町で、たまたま町流しに遭遇しました。それまでに一回しか町流しを見ていなかった僕たちにとっては、幸運な面もありました。しかし、その時は、駅までの道を急いでいたため、再び、踊りを見ている人の後をかき分けて歩かなければならなくなったのです。実は、この時、僕は通りに面して出ていた雨樋の下の部分を踏んでしまい、ヒビを入れてしまったのです。もちろん、足元をしっかり見ていなかった僕が悪いのですが、メインの通りが二本とも踊りでふさがれてしまっている状況は、勘弁して欲しかった、と思う所もあります。

色々と書きましたが、総合的にはかなり良い時間を過ごすことができたと思っています。毎年、この時期に仕事が休める自信がないのですが、何年かに一度は、訪ねたいな、と思っています(妻は踊りのDVDを買っていたし…)。その時は、電車の時間を気にして坂を下らなくても済むよう、八尾に宿が取れるといいなぁ…

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