「秋期限定栗きんとん事件」
![]() | 秋期限定栗きんとん事件〈上〉 (創元推理文庫) 米澤 穂信 東京創元社 2009-02 by G-Tools |
![]() | 秋期限定栗きんとん事件 下 (創元推理文庫) 米澤 穂信 東京創元社 2009-03-05 by G-Tools |
これまで小鳩くんの一人称だけで進められてきた小市民シリーズですが、この本では新たな語り手が登場します。なんと、小佐内さんに交際を申し込んだ、勇気ある下級生、瓜野くんです。
小鳩くんと小佐内さんが別れてしまった(という表現が不適切であれば、互恵関係を解消してしまった)ので、小佐内さんの行動をフォローする語り手が必要なのはもちろんなのですが、これがよもや叙述トリックの下地になっていようとは……
一人称での語りというのは、本当はその人が主観でとらえていることを、読者が客観的な事実だと捉えてしまう危険性があるわけですが、ここでいう叙述トリックというのは、そういう思い込みを利用して、最後にどんでん返しをくらわせる方法を指しています。
今回の事件は、これまでのものよりさらにスケールが大きく、2年生の秋から3年生の秋にかけて、約1年間が描かれています。その中で、小佐内さんと小鳩くんの張り巡らせた計略というのが、実に巧妙で、特にミステリーのトリックに明るいわけでもない僕などは、ただ感心するしかありません。
さて、この本を読み始めて最初に感じたのは、小鳩くんのセリフがずいぶんと長いな、ということです。
よくよく考えてみると、推理を進めていくことにあまり躊躇を感じていないんですね。かといって「小市民」という看板を下ろしたわけでもない。
これは、自分が推理を進めることと、小市民的に日々を送ることのバランスが、取れてきたということじゃないかなぁと思います。
「春期限定」などで触れられていた、小中学生時代の小鳩くんの所行を考えるに、彼が周囲から受けた反感の多くは、彼が推理を行うことではなく、それをひけらかしていたことに原因があったのではないでしょうか。
彼の成長にともなって自意識過剰が落ちつき、周囲とのバランスが取れるようになった結果、推理自体を行うことに罪悪感がなくなったということでしょう。
春期→夏期→秋期という流れの中で、その変化が意識的に語られたのだということを示す表現が、小鳩くんのモノローグの中にあったはずで、筆者の構成力には脱帽するばかりです。
おそらく描かれるであろう「冬期限定」で、この流れにどう決着をつけるのか、期待の高まるところと言えましょう。
「夏期限定」の感想を書いた時に、あの本の最後は読むのがつらかったと書きましたが、「秋期限定」のラストは、そのつらさを吹き飛ばすような、読み応えのあるものでした。
小佐内さんの狼たる所以を示すような、淡々とした、けれども冷酷な響きを持った語り。そして、冒頭に書いたミステリーの醍醐味とも言える解決編。
そして、何よりも、小鳩くんと小佐内さんがお互いにとってお互いが必要な存在であることを認め合ったこと。自らと自らの理解者を見つけた安心感と喜びが、彼らの中にあったに違いありません。
もちろん、彼ら自身も語っている通り、彼らの心の通じ合わせ方は、いわゆる「恋愛感情」とは必ずしも一致しないかもしれません。彼らの自意識が、ある意味ゆがんだ形を持っているというのも、嘘ではないでしょう。しかし、その己を抱えて生きていくしかないのだというある種の悟り、もしくは「開き直り」が、人が生きていくためには必要なのではないかと、僕は思います。
「春期限定」の感想にも書いた通り、彼らのそういった姿に、僕は「青春小説の醍醐味」を感じます。
それにしても、ラストの小佐内さんのセリフ。小鳩くんはどう受け止めたんでしょうね。
1.あの野郎、そんな不埒なマネをしやがったのか。
2.僕も同じ目に合うのは、やだなぁ。
3.「勝手に」じゃなきゃ構わないんだよね。
4.しばらくはおとなしくしていよう。
僕なら、「4」ですけど……(笑)
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