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「氷菓」

4044271011 氷菓 (角川文庫)
米澤 穂信
角川書店(角川グループパブリッシング)  2001-10-31

by G-Tools


4044271046 遠まわりする雛 (角川文庫)
米澤 穂信
角川書店(角川グループパブリッシング)  2010-07-24

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米澤穂信さんの古典部シリーズがアニメ化されて放映中です。
この記事を書いている時点で、僕は第6話(大罪を犯す)まで見ています。
実は、アニメを見始めてから、もう一度「氷菓」~「遠まわりする雛」を読み返してみたのですが、前には気づかなかった色々な点に気づきましたし、アニメの構成や表現などとからめても色々と思う点がありました。
twitterでつぶやいたことを元にして、少しふくらませつつまとめてみました。

僕が米澤穂信さんの小説を読むようになったきっかけは、mixiの「読書の会」というコミュで紹介されている「さよなら妖精」でした。
とはいえ、ユーゴスラビアの紛争について言及したこの本は、テーマ性が先に立ちすぎて「これが言いたいなら小説ではなくて論説文の方がよいのでは」という気がしてもう一つ好きになれませんでした。
それは続けて読んだ「氷菓」も同じで、「学生運動の欺瞞」というちょっと時代がかったテーマが目立ちすぎて、このテーマを、どうして現在、しかも高校生を主人公に書かなければいけないのか、という戸惑いが強かったように思います。
シリーズ2作目の「愚者のエンドロール」は、古典的なミステリーについての考察の比重が大きく、これもやはりテーマ先行だと思うのです。前作では特にミステリ好きというわけではなかった古典部の面々が、妙にミステリーに詳しかったりして、登場人物の性格・知識・関心といった面の描写が、一作目とぶれている感じを受けてしまいました。さらにクラスの映画を完成させる、というささいなことが動機にしては、裏で糸をひいていた「女帝」の取った方法が大袈裟すぎるのではないかというアンバランスさも感じていました。

しかし、3作目の「クドリャフカの順番」になると、題材が「学園祭」という楽しげなイベントであることや、起きる事件が「ABC殺人事件」とからめたユーモラスなものであること、「わらしべプロコトル」と呼ばれた軽妙な物語の進め方など、かなり楽しめる作品になっており、一気に好きなシリーズの仲間入りをしたのです。そして、この作品のもう一つの魅力は、奉太郎だけではなく、える・摩耶花・里志もふくめた四人が交互に語り手となることで、古典部員の人となりがよく見えるようになったことにあると思います。
さらに4作目「遠まわりする雛」になると、えると奉太郎、奉太郎と里志、里志と摩耶花といった登場人物同士の関係に焦点が当たり初め、しかもそれが一年かけて徐々に変化していく様を、見事に描き出しているのでした。

さて、ここでアニメの話をからめてみると、アニメの第1話は「氷菓」の冒頭部とともに、短篇連作の形を取っている「遠まわりする雛」の最初のエピソードも入れて構成されていました。その話を最初に入れることによって、奉太郎とえるの最初の距離感を描いておこうと意図は明白で、そうすると、「氷菓」「愚者のエンドロール」の柱となるストーリーを追っていくと同時に、登場人物の関係の変化を描くことが意識されていることになります。
さらに、奉太郎が自分自身に対して不満を抱いているのだと感じさせる「自己分析」が多いな、ということにも気づきました。実はこの点が気になって、もう一度「氷菓」から読み返してみたのですが、アニメを見て意識したり、「遠まわりする雛」まで読んで登場人物たちの思いを把握できるようになったりしたせいか、初読の時には見落としていた「心情の吐露」が意外と多かったのだというころに気づきました。

もっとも、小説の奉太郎は語り口がもう少し老成した感じで、やや斜に構えた言葉を口にする傾向があります。それ故に悩んでいるはずが悩んでいるように見えないという面もあるような気がします。里志も、小説ではもう少し大人っぽい感じなのですが、アニメではキャラクターデザインも、「ひまわり!」に象徴される立ち居振る舞いについても、子どもっぽい感じがするのは否めません。しかし、それが彼らの「迷い」をわかりやすく表現するための布石なのではないか、とも感じています。里志については、彼のデータベースたる所以の描き方がうすいのではないかと感じて、今のところ個性が出てないようにも思うのですが…。

キャラクターデザインといえば、えるの容姿や立ち居振る舞いがやや子どもっぽく、萌え系に振られている感は、非常にあります。さらに、驚愕のエンディング。摩耶花があんな風に描かれるとは、予想だにしませんでした。ネットでは、こういったキャラデザに対しての批判もあるようですが、先にも述べたように、アニメでは人物描写・人間関係の変化への注目を意識しているのだとすれば、そういう方向性もありかと思っています。ネタバレを防ぐためにはっきりとは書きませんが、「遠まわりする雛」の最終エピソードを着地点と考えるなら、多少大袈裟ではあるかもしれませんが、方向性として大きくずれてはいないと思うのです。

登場人物の心情に話を戻すと、「愚者のエンドロール」のラストは奉太郎にはかなりきついはずで、読み返した時には「ボトルネック」なみの破壊力があるなぁと感じました。でも、初読の時には、ぼくはそこにあまり感銘を受けてないのです。そこに気づけたのは、アニメのおかげかなぁと思っています。
その「愚者のエンドロール」のラストですが、僕は再読の時にも、奉太郎自身のアイデンティティの問題だと思っていましたが、えるとの関係が強調された展開の中で考えてみると、また別の意味が出てくるかもと思い着きました。アニメではどう描かれるのか、先が楽しみです。

ちなみに、アニメでは、どうしても文字の羅列になりがちな推理パートで、うまく絵で状況を表現してみせたり、第6話ではギャグ的な要素を入れてみたり、クッキーを使って視覚的にわかりやすくするだけではなく、登場人物同士の会話に動きを加えたりと、なかなかに見せる工夫をしていると思います。
原作ではつまびらかにされていない舞台も、アニメでは高山に設定されています。言われてみれば、鉱山や温泉が近くにある立地は高山にぴったりです。僕は、過去に三度高山を旅行したことがあり、かなり好きな街であることも手伝って、この舞台設定も良かったと思っています。
好きな小説が映画化やアニメ化されると、がっかりすることも少なくないのですが、今のところは小説と同じくらいアニメも大変気に入っています。そして、明日は(僕が見ているのはTVK)温泉回だ!(笑)

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