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「氷菓」 02


404427102X 愚者のエンドロール (角川文庫)
米澤 穂信 高野 音彦
角川書店(角川グループパブリッシング)  2002-07-31

by G-Tools

アニメ「氷菓」、第11話まで見ました。「愚者のエンドロール」が終わった所です。
第6話まで見た時点での感想で、えると「愚者のエンドロール」のラストをどうからませるかが楽しみだ、ということを書きました。僕がその時点で考えていたのは、奉太郎の「怒り」というか「焦り」の原因にえるの存在がからんでくる(千反田にいいトコを見せたかったのに…という)方向なんですが、それはありませんでした。でも、別の角度からえると奉太郎の関係が深まっている感じがして、個人的には非常に好みの演出でした。まあ、こういうこと書くと「カプ厨」とののしられるかもしれませんが、大日向と一緒で「仲のいい人見てるのが一番しあわせなんです」なのが好きなので。

ところで、今回の演出も例によってネットでは賛否両論があるのですが、それを読んでいくと、結局は原作をどう解釈していたかで分かれているような気がしたので、今回はその辺りを掘り下げてみようと思います。
アニメでは、原作の持っている味のいくつかを押さえ、いくつかを強調しています。押さえられた味を好んでいた人は、アニメを改悪だと思い、強調された味を好んでいた人は歓迎しているという感じですね。
前回の記事でも書きましたが、原作(特に始めの2冊)は登場人物が斜に構えた言い方や衒学的な物言いが多いため、登場人物の感情がフラットに感じてしまうことが多いのです。だから、僕は、アニメを見て「ここにはこんな気持ちが隠されていたのか、なるほどなぁ」と感じ、それがアニメによって「付け加えられた」ものではなく、原作でも触れられていたのに自分が気づいていなかったものを「掘り出してくれた」のだなぁと感じています。だから、アニメへの評価はすごく高いのですけれど。

さて、ネットで賛否の分かれる原因となっているポイントは、奉太郎が入須に対しての怒りをかなり露わにしている点です。これに関して、僕が思うに、二つの点から考察できるでしょう(小鳩くん的な物言い)。

1つは、奉太郎の「省エネ主義」に対する姿勢の変遷から。
批判する立場に立つと、あれは奉太郎の省エネ主義に合わないだろうということなのですが、僕はそうは思いません。
奉太郎は「省エネ主義」を標榜しているけれども、えるの存在によって、次第にそれが変化しつつあるわけです。今回の入須の依頼にしても、最初は消極的でした。しかし、えるをきっかけに協力することになり、「感情移入」が多少とも芽生え、さらに実績をふまえて入須に説得され、仕上げに才能を持ち上げられることで協力する決心をつけます(そう考えると『女帝』の計略も見事ですね)。
彼の省エネ主義の源泉は、一つには関心のなさ、もう一つには自信のなさがあるのだと、僕は考えています。入須からの依頼を最初に断った時にも、最後まで残った理由は「責任が取れない」というものでした。これは他者との関わりを拒否するものであると同時に、ダメだった場合のことを常に想定していることを示しています。と考えると、奉太郎の「省エネ主義」は、この局面においては、実践される理由がうすく、「やらなければいけないこと」としての意識が強まっていると考えられます。
入須の依頼を受けた後の里志との会話で奉太郎が気にしているのは、自分に本当に技術があるかどうかですし、自分の出した案が古典部の3人に批評された時にも、自分が批判された怒りではなく、自分の見落としにショックを受けていたことから、やはり奉太郎には彼なりの「自負心」が芽生えていたと見るのがよいのではないかと考えます。
それに、自分の考えたことが正しいかどうか入須に確かめずにはいられなかった時点で、彼の気持ちは相当盛り上がっていたともいえるのではないでしょうか。

次に、奉太郎の怒りが大きいとすれば、何に対して怒っているのか、という点です。
僕が小説を読んだ時に(残念ながら初読の時ではなく最近読み返した時にですが)とても気になった奉太郎の言葉があります。
入須に「推理作家だったんじゃないですか」と言った後に彼女の反応を見ての「そうであってほしくないという俺の願いを、そんなに簡単に打ち砕くのか」という独白です。
入須の言葉が「嘘」かどうかを奉太郎は気にしていますが、「嘘」の意味するところを考えてみましょう。「才能があると言われたけど本当は才能がない」ということを気にしていれば、「そうであってほしくない」とは願わないはずです。なぜならば、入須の真意を彼が言い当てたとすれば、彼の「才能」はむしろ証明されたことになるからです。
彼は自分の推理が間違っていて「入須が本気で自分を誉めてくれた」と思いたがっていることになります。彼の言う「嘘」は、彼の才能の有無ではなく、入須の「気持ち」の部分、言い換えれば「自分への評価」ということになります。
そこで次に問題になるのは、入須の答を聞いた時の「安心」という言葉です。自分を騙した入須への怒りだとすれば、あそこで「安心」という言葉が出ないはずです。
「安心」の正体について、ネットでは色々な解釈が述べられていました。僕の目にした範囲で「なるほど」と思ったのは、「自分の才能を否定されてこれで『もとの省エネ主義に戻れる』という安心」というのと、「入須先輩が思った通りの人だった(他人を平気で利用する)ことへの『皮肉』」という意見です。確かに、前者だとすると、奉太郎はあんまり怒ってないことになりますね。
でも、僕は、先ほど述べたようにこれは才能の有無の話だとは思っていないので、結論が「省エネへの回帰」になるのは違うのではないかと思うのです。原作でも、その後でえるに「正解」の説明をしているのですから、「才能のなさ」に落ちこんでいるとは思えません。
とすると、「入須が本気で自分を誉めてくれた」と思いたがっている自分を否定されたことへの気持ちと考えるのが妥当なのではないでしょうか。他人の嘘に慢心して、いい気になっていた自分が否定されたことへの「安心」です。
それは、奉太郎が「自分は他人に評価されないのが当然」と考えていて、自分が何かを期待されることを「過剰」だと思うことを意味しています。それって、少し寂しいことですが。

アニメでは、入須との話の後、商店街のシャッターを叩くという、小説にはないシーンが追加されています。これも同様に「怒り」の正体が何であったのかによって、解釈が分かれます。シャッターに貼ってあった「来たれ名探偵」というチラシが問題です。名探偵になってやろうという、自分の思い上がりが許せなかったのではないかと思うのです。結果としてその役目が果たせたとしても。

さて、その奉太郎の気持ちを踏まえた上でのラスト。えるとの会話の場面です。
小説では、その場面はネット上のチャットで描かれています。そこでも、奉太郎は冗談を交えていたりして、あからさまに落ちこんでいる様子を見せません。だから、先ほどの「安心」の解釈にも幅が生まれるわけです。
でも、えるへの「今回の一件、お前は何か知っていたんじゃないか」という問いかけは重要です。入須に対する気持ちから、えるに対する疑心暗鬼も生まれているわけで、奉太郎が何を気にしているのか、ここからも推測できるのではないかと思います。

この場面、アニメでは古典部の部室で話をする形に改変されています。この改変も、個人的にはお気に入りです。
小説ではえるの気持ちはほとんど描写されませんが、アニメでは目に見えて落ちこんでいる奉太郎を気づかう表情が見えます。そして、声をかけるのをためらっているえるの様子がいつもと違うのを感じて、奉太郎の方もえるに声をかけるわけです。が、えるを心配しているようにみえるその行動が、えるに「気になります」と言われたい=「頼りにされたい」という気持ちの表れなんだと僕は解釈しました。そして、えるもその彼の気持ちをわかった上で、あえて声をかけているように見えます。
この二人の関係、実はその前の、えるが「万人の死角」を気に入らなかったと述べる場面でも、かなりの演出が入っています。小説では、えるにヒントをもらったものの、江波の平静さに気づいたのは奉太郎自身でした。しかし、アニメではそれを指摘したのはえるで、しかも「平静さ」ではなく「怒っていない」という、より登場人物の心情を適確に解釈する言葉を使っていました。それによって奉太郎とえるの対照性を明確にし、さらに、依頼を単に「文章問題」としてしか見ていなかったと反省する場面(小説にもありますが、記述は多くありません)をかなり印象的な絵で間をとって表現していました。
小説の「愚者のエンドロール」は、「推理小説論」と言ってもよい小説で、僕はむしろテーマ先行型の物語だなと感じていました。もちろんアニメ版でもその色は残っているのですが、「推理小説」の話よりも「奉太郎の話」の比重が大きくなっているのではないかと思います。小説では「既存のミステリーへの批判」に思えた言葉が、アニメでは「奉太郎への批判」に聞こえるのです。
最後の部室の場面でも、このえると奉太郎の対照性は生きていて、心情面をえるが、状況面を奉太郎が押さえて、二人三脚で「本郷の真意」=「優しさ」に触れた感じがしました。

最後に、入須について。
彼女は、奉太郎を持ち上げたまま終わらせたかったのだろうけど(本郷を傷つけたくなかったように)、彼が予想以上にするどい推理をしたので、見抜かれてしまったのだと思います。だから、奉太郎を落ちこませてしまったことについては申し訳なく思っていると。奉太郎の姉への言い訳も、キーボードを打つ速さで慌てていることを示しているし(これもうまい演出でした)、悪意のある人じゃないと思うのです。

まあ、「叙述トリックは、ホームズの時代には存在しない」という傍点付きの台詞がなかったのと、「ほうたる」と「ガラスの産卵」が見られなかったのは、残念ですけど。

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コメント

twitter検索からきました。
自分も奉太郎の怒りが気になったのでまとめてみました。
http://breakneets.jugem.jp/?eid=1
いろいろ見落としてるし、こうだったらいいな〜的なものですが・・・(この記事見るまでさすがにシャッターは殴るなよとか思ってました)。
もっと見るべき点も、気づかされることも多いなあと・・・ありがとうございました。


こんにちは。ご訪問ありがとうございます。
ブログの記事、読ませて頂きました。
本郷の真意を無視した人達を「周りの兎」と見たてた点は、なるほどと思いました。
僕は小説を先に読んでいたので、本文にも書いたように登場人物への批判ではなく「ミステリそのものへの批判」と受け止めておりましたので。
「氷菓」の記事は、おそらくこれからも書くと思いますので、よろしかったら、またお立ち寄り下さい。

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