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「氷菓」 チョコ予習編

「あきましておめでとう」の放映後に、「遠まわりする雛」の文庫本を再読しました。
「あきまして」の復習と「チョコ」「雛」の予習ということで。
そこで、思いついたことをいくつか。

「あきまして」を再読して感じたのは、奉太郎がアニメに比べて色々な可能性を検討していることです。アニメでは尺の問題もあって色々と省略されていますが、小説の方が、よりミステリーらしい構成だとは言えますね。

「手作りチョコレート事件」については、ネット上で「里志の気持ちが理解できない」とか「里志はヒドイ」とか言う声を聞くのですが、僕はそんな風には思わないんですよね。
「こだわらない」ことは里志の信条のはずなのに、摩耶花の存在はそれを脅かすわけです。彼は自分がかつて「嫌なヤツ」であったことへの嫌悪からその信条を選んでいるのですから、摩耶花を選ぶことによって、自分が「嫌なヤツ」に戻ってしまうことを危惧しているのではないかと思います。あるいは、自分の信条と矛盾した行動を取るという中途半端さは、自分が摩耶花に対して真摯ではないのではないか、と心配している。

これは僕の個人的見解ですが、男というのは(まあタイプにも寄りますが)、好きな相手ができた時に自分の欠点に目がいくものなんですよ。自分の好意を「相手にとって価値のあるもの」ではなく「自分の我が儘」だと考える。里志なんかは、摩耶花の方から好意を示しているのだから、それに応えることは「摩耶花にとっていいこと」のはずなのに「摩耶花を傷つけるかも」と危惧するわけです。

これが、女子の場合には、無意識にでしょうが「自分の好意には価値がある」と思っているわけですよ。摩耶花もそうですよね。
奉太郎は摩耶花が意識的にえるを引っ張り込んだと考えているようですが、普段の摩耶花の言動から考えて、これは摩耶花が計算高いからというわけではなく、この件に関しては「どうしても譲れない」という「本音」が出たのでしょう。これも、結果的にはえるを傷つけることになったわけですが、摩耶花もそこまで考えが回ってないのだと思います。里志が、自分の行為によってえるが傷つくであろうことを考えられなかったのと同じで。

恋愛感情というのは、人間の感情のうち二番目に強いらしいですから(by日夏雄高)、人間のドロドロとした部分が、どうしても表面化します。
奉太郎からして、里志に怒っている一番の理由が「千反田を傷つけたから」ですから。彼の場合は(少なくとも原作では)この時期、自分の気持ちに無自覚ですけど。

里志はどうしてよいかわからず混乱してチョコを割ってしまい、奉太郎は怒りを里志にぶつけ、摩耶花もどうしてもチョコを受け取って欲しいとえるを利用してしまう。
ラストがほろ苦くなるのも道理ですが、その苦さも青春のうちのような気がします。
いや、決して「美化」するわけではなく、「青春」って言葉には、そういう「醜さ」も含むと思うのです。だから、もう随分昔にその時代をやり過ごしてきた僕のような人間は、青春をうらやましいものだと思う一方で、もう一度あの時代に帰りたいなぁとは思ったりしないわけです。
そうやって自分の醜さ、人間の醜さと向き合わないと、自分と向き合えるようにはならないとは思うのですが…ね…。

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