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「氷菓」 心あたり/あきまして編

第19話「心あたりのある者は」、第20話「あきましておめでとう」の放送が終了しました。
原作では「あきましておめでとう」の辺りから、えると奉太郎がお互いを「異性」として意識する描写が見られるようになりました。アニメの方では、この辺りを最初から意識して描写しているようでしたが、第18話「連峰は晴れているか」をきっかけに、さらにその流れが加速している感じです。
特に「心あたり」は、原作では恋愛要素は全く出てこないのですが、アニメでは原作のミステリ要素はそのままに、冒頭でえるが奉太郎を関谷純のお墓参りに誘うこと(しかも結構はにかみながら)や、話に夢中になって近づきすぎたのを照れている二人の様子などをはさむことで、二人の関係の変化を明確にしています。
僕は、アニメ化の話を聞いた時に「あきまして/チョコ/雛が楽しみだ」と思ったくらい、この三本の短編が好きなのですが、アニメで第20話を最初に見た時には「思ったほどじゃないなぁ」という感想を持ったというのが正直な所でした。原作ではいきなり二人の距離が近くなったように感じた回でしたが、アニメでは「連峰」「心あたり」と流れがあったので、多少二人が仲よさそうに見えたところで、それが「普通」という感覚になっていたのだと思います。まあ、それでも、タクシーを降りて近づいてくるえるをスローモーションで見ている奉太郎の視線とか、えるの「見せびらかしに来ました」とかには萌えましたが(笑)

ところが、録画を見返してみたところ、その「普通」が意外と意味を持っているんじゃないかと思い始めたわけです。
特に「凶」のおみくじをえるが面白がってるのを、奉太郎がむすっとして取り上げるところなんか、二人でいることに馴染んできて、変に緊張せずに素で接してるなぁという雰囲気でした。納屋の中でだって、「心あたり」の頃の二人なら、もっと緊張したのではないでしょうか。
納屋の中で、叫ぼうとする奉太郎の口を、えるが思わずふさいでしまうのも、「触れる」ことへの抵抗を事前に意識しなかったからですよね。触ってしまった後に気づいたようですけれども。あと「帯留め」の件を話す時にも、流石に自然体ではいられない。
でも、奉太郎が一升瓶を「持とうか」と言ったのに対して、えるがさして遠慮せずに渡すのも、かほさんにお酒を渡す時に奉太郎が思わず「つまらないものですが」と言ってしまうのも、二人の距離がより近くなっていることを、それとなく示すエピソードだと思うのです。

そういえば、第19話の「お~れ~き~さん」という言い方が摩耶花っぽかったのに加えて、今回の「末吉ひいたね」という摩耶花の台詞と動作は里志っぽかった。えると奉太郎だけでなく、古典部の四人の距離感を、こういう演出で出してる気がします。

いよいよアニメもあと2回。「手作りチョコレート事件」と「遠まわりする雛」を残すだけとなりました。
毎週アニメの放送を心待ちにした経験なんて、いつ以来だろうと思います。もちろん、これまでにも好きになったアニメはたくさんありますが、僕は「エヴァ」も「まどマギ」も、さらに古くは「ヤマト」や「ガンダム」も再放送(なぜか初回の再放送)ではまったクチで、リアルタイムで毎週見た、という意味では本当の幼少期を除いては初めての経験かもしれません。
それに、原作者である米澤穂信さんのtwitterでの絶妙なコメントとか、ネット上での他の方々とのやりとりとか、聖地巡礼とか、本当に楽しみつくしたアニメ放送になったと思います。
それがもうすぐ終わってしまうかと思うと、正直かなり寂しいのですが…最後まで楽しみ尽くすつもりで、あと二週間を過ごしたいと思います。

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