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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qを見てきました。
今回の映画は、相当ネタバレを排除していて、映画館での予告編ではほとんど映像が出ませんでしたし、パンフレットもビニールかけがしてあるという始末。ツイッター上でも、公開後でもネタバレするような情報は、全く流れてきませんでした。
というわけで、僕も最初の部分をこうして長めに書いて、ネタバレ防止を意識しております。僕は、映画でも小説でも漫画でも、気に入った作品は何度も繰り返して味わう派なので、感想を書く時でもあまりネタバレを気にしないタイプなんですが、今回は流石に気を使っています。

というわけで、うっかり感想部を視界に入れてしまわないように、まず、僕とエヴァの出会いから書いておきましょうか。
僕がまだ梶ヶ谷に住んでいた頃、本屋さんである漫画が平積みになってるのを目にしました。それは、貞本義行さんの書いた漫画版「新世紀エヴァンゲリオン」の第1巻~第3巻でした。僕は、貞本さんの漫画を「少年チャンピオン」で読んで名前を覚えていたため、「あ、名前見るの久しぶりだな。アニメに関わってたんだ」と、とりあえず第1巻を買って帰ったのでした。そして、すっかりその漫画にはまってしまったのです。当時出版されていた第3巻まで、すぐに買いそろえました。
さて、その漫画のその帯には「'97春公開決定」という文字がありました。そう、「Death&Reverse」の公開直前だったのです。映画公開前の再放送を録画し、それを一気に見て、その勢いで映画を見に行きました。「Death&Reverse」は最終話までたどりついていない状態で見に行ったと記憶しています。
その後、録画したビデオ(当時はまだビデオだったのです)を繰り返し視聴し、LDを買い集め、パソコン通信のエヴァ会議室に常駐し、関連書籍を買い集め、エヴァファンを自認する一人となったわけです。
もちろん旧劇場版(air/まごころを君に)も見に行き、物語世界なのか現実世界なのか混沌とした、人類補完計画の映像に心を刺され、その傷はおそらく癒えていない状態で今もなお残っているのだと思います。
さて、新劇場版については、もちろん全て劇場で見ているのですが、かつて僕がエヴァに注いだ愛情ほどには、思い入れがないことも確かです。ブログを読み返しても、序と破についての感想は書いてないですしね。それは新作の完成度うんぬんの問題ではなく、初めに受けたインパクトが大きすぎたことの後遺症なのでしょう。
今回も、新劇場版を見た後に、妙にTV版を見返したくなりました。特に、第8話とか第16話とか第20話とか。

さて、これだけ前書きを書けば充分でしょう。
以下の内容にはネタバレを含みますので、ご注意下さい。

11月16日にTV放送で流れたQの冒頭を見た時、僕は「ゼーレが封印した初号機をネルフが奪回しようとしたんだな」と思いました。この冒頭は見ておいて良かったと思います。もし劇場でいきなりあれを見せられていたら、混乱度がさらに上がったでしょうから。
しかし、この予想は二つの点で外れていました。一つは「ゼーレVSネルフ」という対立ではなく、「ゲンドウVSミサト」の対立になっていたという点です。TV版でもミサトはゲンドウの目的に疑問をいだいてはいますが、それをより明確にした感じ。ゼーレの目指す人類補完計画とゲンドウの目的がどう違うのかは、今回も不明のままでした。「破」のラストでサードインパクトが止まったのは、カヲルくんがロンギヌスの槍を使ったからなので、ゼーレの側にネルフの都合で起こされたサードインパクトを阻止する狙いがあるのかなと思ったのですが、誰が初号機を封印したのかは謎のままです。
二つ目の「外れ」は、時間軸がサードインパクトの直後ではなく、14年後の世界だったこと。セカンドインパクトから15年後の世界が描かれたこれまでのエヴァと、サードインパクトから14年後の世界が描かれる今回のエヴァ。まがりなりにもネルフに対抗する戦力を揃えるにはそれくらいの年月が必要だったということでしょうか。
それにしても、ミサトさんやリツコさんやアスカたちが、どのようにサードインパクトを生き延びたのか、非常に興味があります。サードインパクトは、物理的な破壊であると同時に精神的な自我の破壊を伴うものです。何が彼女たちの自我を守り、そして14年間の間、ネルフを倒し初号機を奪い返す意志の源になったのか。その辺りのことが全く語られないのが、かなり残念です。それとも、来春公開されるという「:||」では、その辺りが明確になるのでしょうか? 僕はエヴァにおいては「何が起きたか」よりも「何を考えたか」に共感を覚える見方をしているので、どうしてもその辺りが気になります。

さて、今回もシンジくんは色々とかわいそうな目にあうのですが、かわいそうさはこれまでで一番だったのではないでしょうか。前作の最後で「綾波を助ける」という前向きな気持ちを見せたところはカッコ良かったのですが、目覚めてみたら周りからは敵視され、もうエヴァには乗らなくても良いと言われる。おまけに自分のせいでサードインパクトが起きたことをカヲルくんに教えられるは、助けたと思っていた綾波とも全然コミュニケーションが取れないはで、散々な目にあいます。旧劇場版のシンジくんも無気力でしたが、あれは補完計画中の映像がそうであったように、劇中の人物というよりは監督の投影像みたいな感じでしたから、心情が作品物語内で完結しているという意味では、今回の映画の方が完成度は高いと思うわけです。
それはカヲルくんとシンジの関係についても同じで、シンジがなぜカヲルに心を許すようになったのか、その過程がかなりていねいに描かれているなと感じました。ピアノの連弾のシーン(例の予告のピアノはこれだったのですね)や星を一緒に眺めるシーンは、とても良い場面だと思います。多少、ファンサービス的な雰囲気も感じたりもしましたが(これは、前作『破』のアスカやレイでも同じですね)。
そして、カヲルくんの最後。カヲルくんの予想していた事態とは違う状況になっていて、彼の計画が達成されないことを知る点は、TV版と似た展開です。ただし、違っていたのはアダムとリリスではなく、槍の方で、カヲルくんは第一使徒という設定のようです。TV版でもシンジがカヲルを殺すことになっていて、シンジがカヲルの死を「自分の責任」と感じることにつながるのですが、新劇場版ではシンジの罪をカヲルくんが背負って死ぬことになる図式となっており、シンジが自分の罪を自覚する要素がより強まっているのです。

ストーリー的には全く違ったものになっていますし、設定的にも必ずしも納得いくものばかりではありませんが、本質的な部分では意外と変わっていないというか、よりパワーアップしたものになっているな、という評価もできると思います。
壊れてしまった世界の中で、なぜ人は絶望せずに生きていけるのか…。新しいエヴァの物語には、そんなテーマがあるように感じます。それは、パンフレットの中で緒方恵美さんが語っておられたように、3.11を経験した現在の日本に生きる人間であれば、誰もが共有する思いなのではないかと思います。最終話において、シンジがどんな姿を見せてくれるのか、アスカやミサトがどんな気持ちを語ってくれるのか、非常に楽しみでなりません。

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