フォト

Google AdSense

twitter

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 聖地巡礼に思うこと(前編) | トップページ | twitterリフォローの判断 »

聖地巡礼に思うこと(後編)

さて、ある意味、ここからが本題。なぜ、両者でそのような違いが出来たのか。なぜ、僕自身がそのことでこんなに寂しい気持ちになるのか、です。

高山のケースもそうですが、アニメの聖地巡礼で注目されるのは「経済効果」です。これは前編でリンクしたような、銀行や自治体の試算だけでなく、現地の方々の「今までとは違う客層が増えた」という実感をもって語られることも多いのです。高山でも江ノ島でも、僕がお邪魔したお店で実際に聞いたお話でもそうでしたし、ネット上でもこのような言説は多く見受けられます。
ですから、「経済効果への実感」という点では、特に江ノ島が影響が少なかったということではないはずです。しかし、その経済効果を持続させるべく、ファンに通ってもらうにはどうすれば良いかという工夫をした高山と、制作側主導のイベントで終わってしまった江ノ島・鎌倉との違いなのではないでしょうか。
聖地巡礼というと「町おこし」という文脈で語られることが多く、「TARI TARI」と同じP.A.worksが制作した「花咲くいろは」で話題になった湯涌温泉などは、そのケースの代表例です。しかし、高山にしろ鎌倉にしろ、アニメの効果がなくても充分に観光客が集まる超有名観光地という点では同じです。しかし、新たな客層の開拓という意味での意識の違いはあるのかな、と感じています。

もう一つの理由として考えられるのは、映像化される頻度の違いです。「氷菓」の神山高校のモデルとなった斐太高校は、ドラマ「白線流し」でも話題になったことのある学校です。映像化に縁が無い場所ではありません。しかし、鎌倉の方は、ここ数年だけでも「最後から二番目の恋」(ドラマ)・「ビブリア古書堂の事件手帳」(小説・ドラマ)・「タイヨウのうた」(映画・ドラマ)・「とめはね!」(漫画・ドラマ)・「つり球」(アニメ)、「青い花」(漫画・アニメ)・「ねらわれた学園」(アニメ)と盛りだくさんです。当然、一作一作に思い入れを持つことがしにくい状況とも言えます。
さらに、「氷菓」の場合には原作者の出身地であるという事情が、作品への後押しへとつながったという要素もあるかもしれません。

さて、聖地巡礼というと、最近アニメファンが始めた「変わった現象」として語られる雰囲気を感じるのですが、僕の個人的な経験からすると、それは最近に始まったことではありません。
中学三年の時に「すくらっぷ・ブック」という小諸を舞台にした漫画が好きで、高校1年生から大学生時代にかけて、6回も小諸を訪れました。小諸というと島崎藤村記念館と寅さん記念館があることでも知られていますが、個人的には「すくらっぷ・ブック」の舞台なのです。ちなみに、最近「あの夏で待ってる」というアニメが小諸を舞台としており、ある程度の経済効果を上げていると聞いています。
さらに、大学時代には大林宣彦監督の尾道三部作に夢中になり、尾道にも5回ほど行ったことがありますです。最初は映像の記憶を手探りに同じ風景を探し歩いたわけですが、最後の方は、同じ需要がかなりあったらしく、観光協会で作ったロケ地マップが配布されていたと思います。
さらに言うならば、小説や短歌・俳句の舞台になった場所に記念碑や歌碑・句碑が建つのは珍しいことではなく、さらに作家の記念館が建つ場合もあります(先ほど挙げた小諸の藤村記念館のように)。そして、それらは、当たり前のようにガイドブックに紹介されるメジャーな存在になっているわけです。
そもそも、松尾芭蕉の「奥の細道」からして、西行の和歌の「歌枕」を訪ねる旅だったではないですか。
そういう風に振り返ってみると、アニメファンによる聖地巡礼というのは、昔からある作品の楽しみ方の一つであり、何も特別なことではないはずなのです。
僕が常々リアルな会話(ネット上での会話に対しての用語)で思うのは、小説や映画の話は普通に通じても、アニメの話になるととたんに通じにくくなる、ということです。ジプリアニメやエヴァンゲリオンのような超メジャー作品であればともかく、その他の作品の話題は本当に通じないんですよ。「まどか☆マギカ」なんかも、リアルな会話ではほとんど通じたことがありません。
昔と違ってアニメの放送される時間帯が深夜枠に移行しているというのはあるかもしれません。放映期間も普通は1クール(12話か13話)、長くて2クールです。昔のテレビアニメはもっと長かった記憶があるので、作品も次々に入れ代わり、周知される間もないのでしょう。
それでも、鎌倉関連の話題からは、テレビドラマの話題はよく聞こえてくるのに、漫画やアニメの話題はほとんど聞こえてこないのは、なぜなのだろうと思うのです。先日マンガ大賞を受賞した「海街diary」は、鎌倉の街の風土をとてもよく表現していると思うのに、江ノ電ハウスで開かれた原画展以外、イベントがあったという話を聞きませんし、何かの広告に使われたという話も聞きません。ましてや、「TARI TARI」の知名度の低さは言うまでもありません。
どうも、漫画は「小説」や「ドラマ」に比べても一段低いもの、アニメはさらに一段低いものと見なされている雰囲気を、ひしひしと感じてしまうのです。

そして、もう一つ。他の方はどうかわかりませんが、僕は漫画やアニメの舞台となった場所を訪れる時には、フィクションの世界をリアルな世界に持ち込む「引け目」のようなものを感じます。「前編」で、「伝統のあるお祭りに、個人的には思い入れがあるものの、地域の方々全員にはそうではないであろう一作品が、ここまでコミットするのはどうなのかな…と思う部分もありました」と書いたのは、そういう意味です。他にも、「作品の舞台となった場所」に行くことで「作品世界」を体験にしに行くわけですから、そこに「作品化された世界」があるとメタフィクションになってしまうわけで、あまりよろしくないという面もあるのですが。

ところがです。高山では、アニメのキャラクターを使ったお祭りのポスターをですね、街の各所に貼って下さるのです。メタフィクションの世界はよろしくないと言いましたが、そのポスターがリアルな世界にあってもおかしくない非常によいデザインだったというのもあるかもしれません。お祭りを準備される方が、看板の文字をアニメで描かれていたものに似せて作ってくださったという話も聞きました。たくさん訪れるであろうファンのために準備していただいたお弁当の中に、作中に飛騨名物として登場する料理を入れて下さったりもするわけです。
また、僕が街中を散策していて気づいたのは、ここではよくファンが写真を撮るだろうなという作中の舞台に、さりげなくポスターが貼ってあるのですね(生きびな祭のではないものです)。観光地でもない所で写真を撮るというのは、多少気が引ける部分もあるのですが、そういう風にポスターがあったりすると「あ、写真撮らせてもらってよいというメッセージかな」と思ってすごく安心しました。
それに、お土産を買わせてもらったお店の方とかですね、お祭りで警備をされていた方とかですね、本当ににこやかに対応して下さるんですよ。よくファンが行く場所で、先方から声かけていただいたり、遠方から来てくれてありがたいというお言葉をいただいたこともあります。

街の皆さんがですね(全員ではもちろんないにしても)、「あんなのはリアルな世界じゃないよ」と斜に構えるのではなく、「ここはあの作品で描かれた通りのよいところですよ」と、作品そのものも、作品に対する自分たちの愛情も、きちんと肯定してもらっている感じが、ものすごくするのです。
僕が「TARI TARI」の面影が江ノ島からなくなっていくことを、ひどく寂しく感じるのは、作品を深く長く愛していこうと思う自分の気持ちを注ぐことの出来る対象を、そこに見いだすことができなかったからなのだろうな、と思います。

「氷菓」も「TARI TARI」も、僕の中では、ずっと後になっても折にふれて思い出すことになる作品だろうなと思っています。できれば、これから後の時間を生きる人達にもこの作品に触れる機会を与え、その思いを共有できる何かが、あり続けて欲しいと思うのですが…。

« 聖地巡礼に思うこと(前編) | トップページ | twitterリフォローの判断 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/38050/57151372

この記事へのトラックバック一覧です: 聖地巡礼に思うこと(後編):

« 聖地巡礼に思うこと(前編) | トップページ | twitterリフォローの判断 »