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「氷菓」 遠まわりする雛

今日は2013年4月3日、アニメ版「氷菓」の設定では水梨神社で「生き雛祭」が開催されている日です。実は、現実の2013年の「生きびな祭」はアニメ「氷菓」とのコラボ企画が実現し、様々なイベントが行われることになりました。僕も、今日、そのお祭りに参加してきました。これぞ、延ばし延ばしになっていた、「氷菓」第22話の感想を書くよいきっかけ、とばかりに、この記事は高山のホテルの一室で書いています。

さて、これは「クドリャフカ編」に入って以降、何度も書いたような気がしますが、アニメは小説に比べると時間的な制約が大きく、色々な意味で描写の不足が目についてしまいます。
例えば、冒頭の奉太郎とえるの会話。「最初から話してくれ」という奉太郎に「発端は戦後間もないころなんですが」と話し出すところや、奉太郎が一度「あまり気は進まんな」と断るところ、生き雛祭がそれなりに有名なお祭りであるという話などは、省略されています。
里志が補習で遅刻しそうになるところや、カメラを用意して写真を撮る話などもありませんでした。
どれもストーリー進行には関係ないとはいえ、人物の性格を示す肉付け的な描写です。

また、園さんの喪中の話は、地域の話を奉太郎が知らないという疎外感を演出するとともに、推理の選択肢を一つ増やす(ということは難度が上がる)役目を果たしていました。地元の人たちがより具体的に描写されるという点では、終盤のえると奉太郎の会話もそうです。
他にも色々あるのですが、キリがなくなるのでこの辺にしておきますが、この辺りの描写の積み重ねが、えるが最後に言う「小さな世界」や「千反田の娘」という言葉に説得力が出てくるわけで、そういう意味では、アニメを見ていて「水と土しかありません」という寂寥感があまりないな、と思っていました。

ここまでは、アニメの欠点ばかりを書いてきましたが、もちろん良い点もあります。
一つは、狂い咲きの桜の描写の素晴らしさ。小説を読んだ時の僕のイメージは、もっと小さな桜だったのですが、飛騨一ノ宮にある有名な桜の木をモデルにしたことで「高山」という現実の場所と「氷菓」というアニメの世界の距離が、一層近くなったと思っています。
また、最後の場面を千反田家から桜の前にしたことで、画面に動きと美しさが加わったことは、言うまでもありません。

そして、小説にはなかったオリジナルの要素が二点。
まず、祭りの終わった後、摩耶化が奉太郎にバレンタインの件でお礼を言うシーン。あのシーン、僕は奉太郎と摩耶化の関係というよりは、里志と摩耶化の関係を示唆するシーンだと思っています。摩耶化が里志との関係を「ぼちぼち」といい、奉太郎のしたことを里志の口から聞かされていた点といい、「二人の距離の概算」を先取りする意味があったのではないでしょうか(下手をすると概算の描写よりも意味が深いという気までします)。
二つ目は、入須先輩と奉太郎との会話。「愚者のエンドロール」の時にも書きましたが、僕は、もともと入須性善説です。入須は奉太郎の能力を買っていたからこそ利用したわけで、自分の都合で相手に頼ったことを潔しとしない考えが、自己罰的な物言いになったのではないかと思っているのです。ですから、あの入須先輩の描写は、僕の中では、自分が思っていたことをうまく補完してもらったようで、嬉しかったです。

というわけで、「氷菓」の感想は、これで一段落。
といっても、小説は古典部の諸君が卒業するまで続くらしいですし、高山は「氷菓」アニメ化の前から好きな場所でしたから、これからも度々訪ねることになるでしょう。
「生涯忘れることのできない作品」の一つであることは、間違いありません。

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