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作品世界の年代感覚について考えたこと

昨年末の12月24日・25日に飛騨高山に旅行してきました。
ここ数年、年に数回ずつ訪れているお気に入りの場所ですが、その楽しみの一つに、高山出身の小説家・米澤穂信さんの小説に登場する場所のモデルを訪ねる、いわゆる「聖地巡礼」があります。
ことにアニメ化された「氷菓」(小説の方は〈古典部〉シリーズと呼ばれますが)では、実在の場所をモデルにアニメの作画が行われているため、街を歩くだけで、まるでアニメの世界にいるかのような気持ちにさせられます。
僕はこれまでに何度も高山を訪れていますので、モデルになった場所に行ってカット合わせの写真を撮るような形での「聖地巡礼」はもうしていませんが、今回、何度目かの「聖地巡礼」をしながら考えたことがありますので、それについてまとめてみたいと思います。

実は、今回の高山行きで、新たに聖地巡礼のリストに加わった場所があります。2015年12月12日発売の「野性時代」に〈古典部〉シリーズの新作「いまさら翼といわれても」の前編が掲載されたためです。「いまさら翼といわれても」には神山市文化会館が登場するのですが、その位置や外観は高山市文化会館をモデルにしたものと思われます。そこでさっそくその場所にも行ってみたのですが、雑誌に作品が掲載されたばかりであるだけでなく、まだ「前編」で作中の謎が解説されていないこともあり、まさしく「今」起きている事件であるかのような感覚を抱いて、僕はその場所に立ったのでありました。
しかし、その後、これまで何度も訪れた聖地を歩きながら、僕は文化会館を訪れた時との気持ちの落差を感じずにはいられませんでした。もちろん「慣れ」による感動の薄まりというような話ではありません。それは、アニメと小説との「年代設定」に関する落差についての問題でした。

そもそも小説〈古典部〉シリーズの年代設定は2000年です。彼らが高校二年生になった最新作でも2001年なのです。ですから、僕が小説を読む時には、2000年に存在した彼らの世界を、2016年にいる自分が体験しにいく、という感覚で読みます。このように、自分が現実にいる年代と、小説の世界の年代が異なることは、小説では珍しいことではありません。
例えば、米澤穂信さんが2015年に刊行された「王とサーカス」では作中の年代が2001年に設定してあります。〈古典部〉のように「刊行から時間が経過したから」という理由ではなく、作品としてその年代である必要があれば、現時点での年代にこだわらず作中年代が設定されるわけです。

しかし、アニメ「氷菓」の年代設定は放送が行われた2012年です。そして、僕は(あるいはネットの反応を見る限り多くの視聴者が)リアルタイムで進行している物語としてそれを捉えていました。Twitterでも「今日は○○が○○する日」あるいは「ちょうど今頃○○している時間」などという書き込みを僕自身もしていますし、多く読んでもいます。
その舞台となった場所に足を運んでいる時も「あの時に○○があった場所」という意識でいるのですが、それが1年経ち、2年経ちという時間の経過にともない「あの時」が次第に「過去」になっていたのだなぁというのが、自分の感じた違和感の正体でした。

発表されたばかりの小説を読んだ時には、先ほども書いた通り「リアルタイム感」が戻ってきます。作中の物語が「過去」なのか「リアルタイム」なのか、その辺りの感覚に「落差」ができてしまったということのようです。
小説を読む時には、作中の年代が過去であっても「今の自分がそれを垣間見ている」という感覚で読んでいる気がします。なのでそれほど「過去に起きたこと」という感覚がないのですね。
アニメの場合、「放送された時」が「リアルタイム」であり、時間が経つとその分だけ作品世界であったことも「過去」になっていくのかな、というのは今回気づいたことです。
もちろん、アニメでも放送時期と作中設定年代が異なるものもありますし、今回は「作中の場所を訪れる」という自分自身の経験も「過去」として認識されていること、ネット上での作品の扱いがやはりそれを「過去」にしていきやすいことなどがあり、一概に「アニメ」と「小説」の違いとはいえないかもしれません。
でも、今までに感じたことのないギャップだったので、それがどういうことなのか、まとめておきたかったのです。この件は、しばらく自分の中での宿題になりそうです。

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