フォト

Google AdSense

twitter

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

カテゴリー「音楽」の記事

中島みゆきコンサート「一会」

昨日は、東京国際フォーラムAホールで開催された、中島みゆきさんのコンサート「一会」に行って来ました。
上演された楽曲など、コンサートの内容にふれた記事となりますので、ネタバレを避けたいとお考えの方は、この先は読まずにスルーして下さいませ。


僕がみゆきさんのファンになったのは、高校二年生の時。「悪女」がヒットした後で、友人がレンタルレコード屋で借りてきた「寒水魚」をテープに録音する作業を頼まれたのがきっかけでした。
それまでも「悪女」だけではなく「ひとり上手」や「あした天気になれ」は聞いたことがありましたし、研ナオコさんの「かもめはかもめ」や桜田淳子さんの「しあわせ芝居」を書いた方だというのは知っていましたが、アルバムを聴いたのはその時が初めてで(厳密には前日譚があるのですが長くなるので省略)、ダビングしたテープを聴いているだけでは物足りなくなってレコードを買ってしまったというわけです。
高校二年生から三年生にかけて、「寒水魚」からさかのぼる形でアルバムを買いそろえ、月曜深夜に放送していたオールナイトニッポンを聞き火曜は眠い目をこすりながら授業を受ける、という生活が始まったと記憶しています。ちょうどその時期にハマっていた「軽井沢シンドローム」(たがみよしひささんのマンガ)で度々みゆきさんの曲へのオマージュがあったというのも拍車をかけたかもしれません。
その後、大学時代の友人たちも中島みゆきがきっかけで仲良くなった人が多かったですし、社会人になってからもパソコン通信で中島みゆきフォーラムに参加しておりました。
ここしばらくはアルバムも買わなくなってしまっていたのですが、それでも昔よく聞いた曲は今でも聴き続けていますし、何より、自分という人間の基調をなすものの一つとしてみゆきさんの楽曲と、それを通して知り合った友人たちの存在があることには間違いありません。


にも関わらず、僕はこれまでみゆきさんのコンサートに行ったことがなく、今回が初参加でした。
その件についても、語ろうと思えばいろいろ語れるのですが、そろそろネタバレ防止の改行代わりにしては話が長くなりすぎましたので、本題に入ろうかと思います。


今回のコンサートの上演楽曲は以下の通り(カッコ内は収録アルバム)です。


もう桟橋に灯りは点らない(LOVE OR NOTHING)
やまねこ(36.5℃)
ピアニシモ(常夜灯)
六花(心守歌)
樹高千丈 落葉帰根(心守歌)
旅人のうた(パラダイス・カフェ)
あなた恋していないでしょ(常夜灯)
ライカM4(組曲 Suite)
MEGAMI(グッバイガール)


ベッドルーム(常夜灯)
空がある限り(組曲 Suite)
友情(臨月)
阿檀の木の下で(パラダイス・カフェ)
命の別名(わたしの子供になりなさい)
Why & No(組曲 Suite)
流星(LOVE OR NOTHING)
麦の唄(問題集)


浅い眠り(EAST ASIA)
夜行(心守歌)
ジョークにしないか(問題集)


アルバムの名前を挙げただけではファンでない方にはわからないと思いますが、僕が高校時代に聴いていた曲から発売されたばかりの最新アルバムの曲まで、かなり幅広い年代の曲で構成されています。


一番熱心に聴いていた高校から大学時代にかけての曲では、当時、自分がどんな気持ちでその曲を聴いていたかということを思い出していました。
その少し後の時代の曲では「ああ、FMIYUKIの人たちとカラオケで一緒に歌った曲だなぁ」という感慨を覚えていました。
新しい曲ももちろん楽しみではあったのですが、「人生の走馬燈状態」のインパクトがやはり勝っていたと言えましょう。コンサートに行ったのが初めてという状況が、それに拍車をかけていましたし。


曲の合間のMCでも、オールナイトニッポンで聞いていたままの語り口に懐かしさを覚え、特に第二部の冒頭での会場からの投書を紹介するコーナーでは、オールナイトニッポンのテーマ曲であった「ビタースウィート・サンバ」がかかり、まるで時間が巻き戻ったかのようでした。


とは言うものの、例えば古い映画がリバイバルで上映されたり、昔読んだ本をもう一度読み返すのとは訳が違います。今年63歳になるみゆきさんですが、歌声にはますます磨きがかかり、表現力も豊かになったように感じました。また、「振り付け」とは少し違うのですが、どちらかというと演劇的な、体を使った表現も見応えがありました(この辺りは演劇的な要素の強い『夜会』の経験なのかなとも思います)。楽器を演奏する方やコーラスの方と共に作り上げる音楽はもちろんのこと、衣装やライティングなどの舞台効果も含めて「これが今の中島みゆきなんだな」と思わせる完成度だったと思います。
この「昔の創作物を今の作り手が再度表現する」というのは、小説や映画にはできないことで、音楽や演劇の表現者がうらやましいと思うのはこういう時だったりするのですよね。


最後にMCの内容で印象的だったことを一つ。みゆきさんが「昔から声が大きくて」というエピソードで学生時代の寄宿舎生活について触れていました。みゆきさんの出身大学については知識がありましたが、寄宿舎に入ってらしたというのは初めて知ったことです。
僕は氷室冴子さんの大ファンでもあるのですが、「クララ白書」「アグネス白書」で描かれたあの寄宿舎でみゆきさんが過ごしたのかという想像はとても楽しかったです(ちなみに、氷室さんはみゆきさんの大学の後輩で『いもうと物語』の文庫本の解説はみゆきさんが書かれていますし、『片思い』の解説は氷室さんが書かれています)。


コンサートの物販では、最新アルバム「組曲(Suite)」を購入してきました。久しぶりに購入したみゆきさんのアルバムです。しばらくはみゆきさんの曲を聴く毎日になりそうな予感がします。

夏歌

B00024ZAQ8夏歌
オムニバス PRINCESS PRINCESS 富田京子 爆風スランプ
Sony Music Direct 2004-06-23

by G-Tools
B0009J8GQ2夏歌(2)
オムニバス キャンディーズ 杉山清貴&オメガトライブ 中原めいこ
Sony Music Direct 2005-06-22

by G-Tools

ネットを見ていたら「夏歌」「夏歌2」というオムニバスCDを発見しました。
それぞれの収録曲を見たい方はアマゾンに飛んでいただくとして、僕が思い出す夏の歌ってどんなものがあるだろうかと考えてみました。

サマータイムブルース(渡辺美里)
夏が来た!(渡辺美里)
暑中お見舞い申し上げます(キャンディーズ)
夏のお嬢さん(榊原郁恵)
夏の扉(松田聖子)
白いパラソル(松田聖子)
シーズン・イン・ザ・サン(チューブ)
あー夏休み(チューブ)
世界でいちばん熱い夏(プリンセス・プリンセス)
チャコの海岸物語(サザン・オールスターズ)
あきらめの夏(サザン・オールスターズ)
花咲く旅路(原由子)
少年時代(井上陽水)
線香花火(さださまさし)
精霊流し(グレープ)

こんな所でしょうか。
一番好きなのは前の2曲で、あとは前半元気路線、後半しっとり路線で考えてみました。
季節が季節だけに、アイドル路線が強めですが。
でも、流行歌って嫌いじゃないです。「歌は世につれ、世は歌につれ」って言いますし。

「怜子」

この前の記事で、「いまのきもち」の「怜子」について書いたのですが、トラックバックをいただいたゆうけいさんをはじめ、僕の参加しているメーリングリストでも、今回のアレンジを好意的にとらえていらっしゃるコメントをいただきました。

自分が特に偏狭なのかと反省して(いや、そういう傾向があるのは重々承知しているのです、これでも)、徹底的に聞き込んでみました。

努力の甲斐あって(^^;)、語り手の女性の心情の理解はできたように思います。

オリジナルバージョンでは「悔しさ」が前面に出ているのに対して、いまのきもちバージョンでは「哀しみ」が表現されているのですね。(「ガラスの仮面」かい(^^;)

自分の想い人が怜子を好きになってしまったこと。そしてそのせいで怜子を憎む気持ちを自分が持ってしまっていること。それを悲しんでいる。
そんな感じです。

アレンジの意図は掴めた(ような気がする)ので、違和感はなくなったんですけれど、やはり個人的にはオリジナルバージョンの方に軍配が上がります。

というのは、彼女にはやはり悔しがって欲しいのです、僕としては。
悔しいといっても、怜子に対してではなく、自分に、です。
「人の不幸を祈るようにだけは、なりたくないと願ってきたが」は、彼女の決意を示す言葉です。その決意がくずれてしまうことに対して、悲しむのではなく、悔しがって欲しいのです。あきらめてしまうのではなく、戦って欲しいのです。

僕にとっては、オリジナルバージョンの激しい歌い方は、悲しみの大きさや性格の激しさではなく、葛藤に苦しむ姿を示したものなのです。

で、さらに言うならば、「いい女になったね」は悲しむのではなく、驚いていて欲しい。
怜子に対して、それくらい愛情を感じていて欲しいのです。
「お前とならば合うんだね」には、祝福と寂しさとの両方がふくまれていて欲しいのです。

一点豪華主義で「悲しみ」に集中するというのも1つの表現としては理解できるようにはなったのですが…

やはり偏狭ですかね(^^;)

中島みゆきのニューアルバム

いまのきもち
中島みゆき 瀬尾一三
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
2004-11-17


by G-Tools

中島みゆきのニューアルバム「いまのきもち」が発売されました。
出勤途中で購入して、職場のノートパソコンでmp3に書き出し、帰宅途中にザウルスで聞いていました。

リーフレットを見たら発表年が記してありましたが、発表年順に収録されているようですね。
曲目は以下の通り。

あぶな坂 (1976年)
わかれうた (1977年)
怜子 (1978年)
信じ難いもの (1979年)
この空を飛べたら (1979年)
あわせ鏡 (1981年)
歌姫 (1982年)
傾斜 (1982年)
横恋慕 (1982年)
この世に二人だけ (1983年)
はじめまして (1984年)
どこにいても (1986年)
土用波 (1988年)

20年来のみゆきファンの僕にとっては、懐かしい曲ばかりです。
オリジナルのイメージを大きく変えた曲はないと思うのですが、それだけにみゆきさんの歌がうまくなったのを感じましたね。
声量や音域の広さが上がったように思いますし、表現も細やかになったように感じます。それだけに、歌い方の微妙な違いに、意図を深読みする楽しさがあるわけですが。

ただ、「この空を飛べたら」の「走るよ」の前の一拍がなくなったのと、「怜子」の歌い方を優し目にしてしまったのは、気になりましたね。

「この空を飛べたら」は、全体的にのびやかに歌っている感じで、見込みがないのにそれでもあきらめきれないでいる自分の気持ちの強さを、むしろ肯定しているような雰囲気を感じて、それはそれでよいのですが、「走るよ」には躊躇と決意を込めて欲しかったので、余韻がうすれてしまった分、ややマイナス。

「怜子」に出てくる女性は、それまで自分の方がお姉さんぶって色々めんどうを見て上げる立場だった女性、というイメージなんですよね。そして彼女は、内心の苦しさを隠して、その役割を演じ続けていくはず。その意味で、あまり優しく歌われてしまうと、違和感があるのです。

ちなみに、僕が中島みゆきと出会ったのは、「悪女」がヒットした1981年です。
でも、それで彼女の歌がすぐに好きになったかというと、そうではなく、「悪女」が収録されたアルバム「寒水魚」(1982年3月発売)を友人からダビングさせてもらったのがきっかけでした。
今回収録された曲では、「歌姫」「傾斜」がそのアルバムの収録曲でした。
mp3に落として聞いた関係で、最後に聞いたのが「歌姫」でした。「寒水魚」でも「歌姫」がラストだったので、昔を思い出してしまいました。