カテゴリー「旅行・地域」の記事

おわら風の盆2009 終章

今年の「風の盆」の記事のまとめです。

僕が、これほど「風の盆」に惹かれるのは、どうしてなんだろう、と考えることがあります。
踊りや歌、楽器演奏の素晴らしさは、もちろんあるでしょう。
古い町の姿を残している八尾の街並みの美しさもあるでしょう。
写真を趣味にするものとして、それらの姿をしっかりと写し止めたいという気持ちもあります。
そして、「おわら」を守り、育んでいる地域社会のあり方への賛美の思いもあります。

ただ、よく考えてみると、僕は、あくまでも傍観者でしかありません。
もし、風の盆が素晴らしいと思うなら、八尾の町づくりが素晴らしいと思うなら、
自分の属している社会においても、同じようなことが実現できるように、考えるべきなのでは…
という思いがあります。
とは言っても、安易に「おわら」を広めたいという意味ではありません。最近、よさこいや阿波踊りがあちこちの祭りで行われているのを見ますが、僕は、そういう風潮があまり好きではありません。古いか古くないかはともかく(おわらも、今の形になったのは昭和に入ってからのことのようです)、地元ならではのオリジナル性は大切にしたいと思うのです。

これは、里山の風景や、農のある風景を撮影する時にも思うことなのですが、
こういった伝統的なものを守るためには、ある種、現代社会で都市に暮らす人間が当たり前に享受しているものを、享受できずに生活する必要があるはずです。
ふだんは、都会で生活している人間が、そういった部分に無頓着に「古い街並みはいい」「里山の風景はいい」と吹聴するのは、どこか不遜な所があるのではないか、という迷いが常にあります。

とりあえず、傍観者は傍観者なりに、自分の素晴らしいと思うものの存在を訴えていくことに意味があるのではないかと考えて、自分を励ましてはいるのですが……。
僕は、長年、自分を「文章の世界」の人間だと思ってきたのですが、最近は「写真」での自己表現の機会がずいぶんと増えてきています。
「写真」にしろ「文章」にしろ、それが持っている「伝える力」が、それほど無力ではないということを、長年それを糧に生きてきた人間としては、信じていきたいところです。
そして、自分が暮らしている場所の中で、それらを使ってどんなことができるのか、ということも模索していきたいと考えているのです。

そんなわけで、八尾から帰ってきた今、鎌倉や、横浜や、戸塚の写真をしっかり撮っていこうという気持ちになっているところではあります。

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おわら風の盆2009 Part6

鏡町の輪踊りを見終えたのが、午後5時の少し前でした。
午後5時から7時までは、町流しはお休みなので、ここで腹ごしらえをしに、曳山展示館前に戻ります。
テントで売っているおそばを頂き、ひと休み。
とは言っても、それほど疲れを感じているわけでもなく、ほどなく西町へと向かいました。
午後6時には西町の会所の前に到着していたのですが、まだ1時間以上は待つ必要があると思われます。
こういう時のために、リュックにキャンプ用の折りたたみイスを入れてきていたので、
それに座って文庫本を読んでいました。
しかし、ずっと座っているのに飽きてきてしまい、街並みの写真を撮りにフラフラとしている間に、西町の会所の前は人でいっぱいになっていました。
それでも、なんとか出口の近くに陣取っていたのですが、一つ大きな誤算が…
ちょうど街灯が途切れる辺りにいたために、光量が足りなくて、写真が真っ暗になってしまうのです。
踊りの列が通りすぎていくのを待って、踊りの列とは反対に歩き、となりの東町を上っていきます。
踊りながら歩くよりは早く移動できるだろうから、踊りの列の先回りをしようというわけです。
というわけで、西町と上新町の境目あたりまで行って待っていたのですが、さすがに良い場所を確保することはできず、この作戦は失敗でした。通りの明るさは、場所によってかなり違うので、そこまで気をつけねばいかんなぁと反省した次第です。

さて、西町の町流しを見た後は、上新町です。
ここは、一昨年、唯一きちんと見ることのできた町流しですが、それだけ思い入れがあります。
八尾郵便局のとなりにある電気屋さんの前に陣取ったのも、一昨年と同じです。
上新町の町流しがやってきたのが、8時30分ごろ。Part5で書いた計画は、ほぼ正しかったことになります。

おわら風の盆2009 20

おわら風の盆2009 21

上新町の町流しは、新踊りで構成されていて、少し動いてはそこで踊り、また移動して踊り、という感じで進んでいきます。
一昨年もそうだったのですが、僕の陣取った場所は、目の前で男踊りが踊られる場所で、動きを追いかけながら夢中でシャッターを切りまくります。まぁ、例によって、MFでのピント合わせがうまくいかず、上がってきた写真にはロクなものがなかったわけですが……。
また、あまり距離が近いと、一人が画面いっぱいに入ってしまい、「踊りの列」という構図にならないことに気づきました。立ち位置を工夫して、少し左右の踊りを撮るつもりでいるのが良いかもしれませんね。

おわら風の盆2009 22

前の晩が徹夜だったので、2日は早く切り上げようと思っていたので、上新町の町流しを見送った僕は、西町の方へと下っていきました。
そうすると、ちょうど、踊りを終えた西町のグループが、公民館に帰ってくる所に出会いました。
公民館の前で踊りをやめてしまうのではなく、踊りを踊りながら、公民館の入り口に入っていきます。
西町の公民館は、格子窓のついた立派な建物で、その中に踊りの列が消えていく様には、なかなか美しいものがありました。
最後に、地方の方が公民館の前で演奏と歌を披露し、終演です。

その後、屋台の集まった場所(町の中に何カ所か設けられています)で広島焼きを食べて、夜食にしました。
そして、いよいよ八尾ともお別れだなぁと思いながら、坂を下っていったわけですが、その後にも、実は様々な出会いが待ち受けていたのです。

下新町の八幡社の前を通りかかると、ちょうどステージで踊りが踊られていました。
僕は、それまでステージでの踊りにはあまり興味がなかったのですが、八幡社のステージは、ちょうど鳥居を背景にし、舞台効果満点です。
すでにたくさんの人が集まっていて、人の頭越しにしか写真を撮ることができませんでしたが、次の時には、こちらのステージも見てみたいなぁと思いました。

さらに下っていくと、天満町でも輪踊りが踊られていました。

おわら風の盆2009 23

これまで、下新町の坂を登っていく道しか通ったことがなかったので、天満町は未知の領域です。
まだまだ、八尾とおわらを知るには、修行が足りないようです。

福島の町まで降りてくると、道の両側に屋台が広がり、わたあめを買う子どもたちや、射的・輪投げをして楽しむ子どもたちの姿が目に入ります。
踊りだけではなく、普通のお祭りのように、夜店を楽しむ側面も、風の盆にはあるのでしょうね。

富山行きの列車に乗る頃、駅前のステージでは、福島の踊りが始まろうとしていました。
心残りはあるものの、今年は、これで帰るより他ありません。
また、いつか、という言葉を胸に、駅前のステージが見えなくなるまで、僕は車窓を眺めていました。

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おわら風の盆2009 Part5

東新町から西新町の通りへ抜けると、上新町と諏訪町のグループが休憩中でした。
Part4で僕が書いた男の子の台詞は、この時に聞いたものです。
しばらく待っていると、上新町のグループが輪踊りを始めました。
どうも、日のあるウチの踊りは、子供たちを交えた輪踊りが主役のようです。

おわら風の盆2009 18

おわら風の盆2009 17

あちこち場所を変えながら、輪踊りを踊っていきます。
上新町の輪踊りを2回ほど見た所で、今度は諏訪町の輪踊りが始まりました。
昼間は、夜ほど多くの見物客がいないし、輪踊りは町流しとちがってしばらくは同じ場所で踊りますので、
踊りをじっくり見たい人には、お薦めです。
写真を撮る立場で言うと、やはり明るい場所の方が撮りやすくはあります。
女性の浴衣のあでやかさ、なんていうのは、やはり色がきちんと出る昼間の方がよい感じです。

そして、坂を下っていくと、鏡町の石段下の広場で、輪踊りが始まりそうな雰囲気です。
石段の上はすでに人がたくさん集まっているので、階段横の坂道を通って、反対側に回り込みます。

おわら風の盆2009 19

鏡町の女性の浴衣は、白地なんですね。
一昨年は、町の名前も、ましてや衣装や紋のちがいなども、全く知らずに見た「風の盆」でしたが、
今年は、一日じっくり見たおかげで、いろんなことがわかるようになった気がします。

鏡町の輪踊りが終わった後、町の方が、夜の町流しのことをお話されていました。
演舞場での踊りが終わった後、休憩してから踊るので、午後10時過ぎになること。
場所取りは、絶対にしないで欲しいということ。物を置いてある場合には撤去するということ。カメラのストロボは使用禁止だということ。注意しても聞かない場合には、強制的に退去させる場合もあるということ。
これらのきまりは、安全を確保して、風の盆をみんなが楽しめるようにするためのものなので、ぜひ協力して欲しいということ。
昼間の、まだ時間に余裕のある時期だからかもしれませんが、ご自分の気持ちをしっかり伝えようという熱意のあるお話でした。
ただ、こういったお話を熱心にしなければいけないような状況が、現在の「風の盆」にあることは、事実なのでしょうね。実際、踊りの終わった後、僕が登っていった石段の上には、場所取りのためのレジャーシートがびっしりと貼られていたのですから…

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おわら風の盆2009 Part4

2日の始発で富山のホテルに戻った後、11時くらいまで寝ていました。
僕は、もともと夜型の生活で、午前3時ごろ寝て午前9時ごろ起きるということも珍しくありませんので、
今回の徹夜も、それほどしんどくはありませんでした。

シャワーを浴びて、ホテルを出発し、富山駅ビルの食堂で、氷見うどんとにぎりのセットをいただきました。
そして、再び八尾についたのは、午後2時ごろ。
これまでは十三石橋を渡って、下新町の通りを上っていったのですが、今回は井田川の左岸を歩いてみました。
禅寺橋を渡ると、そこには石垣をつんだ「坂の町」の姿が。
井田川沿いに、こんな景色が広がっていることを、恥ずかしながら初めて知りました。

おわら風の盆2009 24

おわら風の盆2009 25

町流しの始まりは午後3時からなので、それまでは街の中を散策しながら、お土産を物色。
実は、昨日、あちこちでおわらのTシャツを売っているのを発見し、ぜひ買って帰ろうと思っていたのです。
あちこち見て回って、結局、上新町の「吉田陶器店」でTシャツと、妻へのお土産にハンカチを購入しました。

一昨年の「風の盆」で、町流しが行われる時間は「演舞場での上演が終わって少し経ってから」ということが多いのではないか、と気づきました。
その仮説に基づいて、本日の予定を組み立てると、午後7時ごろに西町、午後8時ごろに上新町、ということになります。一昨年見た上新町の町流しは是非とも見たかったので、8時になっても西町で見られなかったら、移動しよう、と考えました。
ということで、まずは坂の一番上にある東新町を訪ね、それから西町に戻ることにしました。

町流しの始まる午後3時。ちょうど東新町の公民館前に到着。
この町の女の子の衣装は、田植えの衣装なんですね。

おわら風の盆2009 15

おわら風の盆2009 16

一昨年の「風の盆」でも、子どもたちの踊るおわらを町の人たちが温かく見守る様子が印象に残っていたのですが、昼間の町の様子を見ると、その印象がいっそう強まりました。
大人たちだけではなく、10代の後半から20代前半くらいの若い人たちが、子供たちの踊りをリードしたり、移動の指示をしたり、休憩の時には飲み物を配って歩いたり、ということをしている姿も見かけました。
これが、お祭りの場という特別な場だからなのか、それとも普段からそういう交流が行われているのかは、僕にはわかりません。普段からこのような交流があるのであれば、それは素晴らしいことだし、もし「祭りの場」だけのことだとしても、普段は行われない世代間交流を促す特別な時間として、子どもたちにとって「風の盆」の楽しさがより深まるのではないかと感じました。僕が子供の頃、お正月に親戚が集まり、年上の従兄弟たちと会えるのが楽しみで仕方なかったように。

休憩している子どもたちの会話をそれとなく聞いていると、ある男の子が「でも、子供の踊りを見に来ている人だっているかもしれないだろ」と、別の男の子に言っています。
「なぁんだ、子供の踊りじゃん」とか言う観光客でも、いたのでしょうか。
子どもたちにとっても、おわらを踊るのは楽しく、そして嬉しいことであって欲しいです。
そうでないと、いずれ、この素晴らしい伝統が、先細りしてしまう可能性だって、無きにしあらずなのですから…。
その言葉を聞いて以降、子供が交ざっている踊りは、最後までしっかり見て、盛大に拍手を送ってあげようと、心に決めたのでした。

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おわら風の盆2009 Part3

西町から再び上新町の通りへ戻ってきたのが、午前2時半ごろ。
この頃になると、さすがに人通りが少なくなってきます。
上新町の通りで、西新町の夜流しに遭遇しました。

おわら風の盆2009 09

おわら風の盆2009 10

僕は、おわらの踊りの中でも、勇壮な男踊りが好きなのですが、町流しでは旧踊りが踊られることが多く、できればもっと新踊りを見たいなぁと思っていたところでした。
西新町の夜流しは、新踊りを踊っており、おかげさまで、たっぷりと堪能させていただきました。
特に、地面をふみしめる所作で、ザッと響く草履の音がいいんですよね…。

西新町に入る頃、反対側から鏡町の夜流しがやってきました。
こちらは、子供がまざった一行です。

おわら風の盆2009 11

おわら風の盆2009 12

その後、東新町へ。
ここのぼんぼりにはおわらの歌詞が入っているので、ぼんぼりの写真を撮りたかったのです。
そして、東新町から諏訪町に下ってきた所で、女性の踊り手3人ほどと地方さんで構成された
少人数の夜流しに遭遇しました。

この頃になると、数人の聞き手が、夜流しの列の前後を囲むように一緒に歩いている状態。
静まりかえった町の中に、楽器の音とおわらの歌とが、響き渡るように流れていきます。

しばらく一緒に歩いた後、さらに諏訪町を下っていくと、同じ方向に下っていく少人数の夜流しに遭遇。

おわら風の盆2009 13

おわら風の盆2009 14

諏訪町から今町に入るあたりで一行に分かれをつげた頃には、午前4時を回っていました。
そろそろ歩き疲れてきたので、少し明るくなった空を見上げながら、八尾の駅に向かいます。

風の盆の真骨頂は、深夜の夜流しにあると、おわらについて書かれた本には、必ずと言ってよいほど書かれています。
たしかに、静まりかえった街の中を、夜流しの一行と共に歩んでいく感覚は、たくさんの見物客に囲まれてみる踊りとは、全く違った良さがあります。
一晩徹夜すると決意した今年の風の盆でしたが、それでも、1回か2回、夜流しに遭遇できたらよいな、くらいにしか考えていなかったのですが、結果的には、足を休めている時間よりも、夜流しの一行に付き従いながら、夢中でシャッターを切っていた時間の方がはるかに長く、思った以上におわらを堪能することができました。

今回、心残りに思っているのは、明るいレンズがMFしかなかったために、暗い中ではほとんどピントが合わず、思ったように写真が撮れなかったことです。
もちろん、何枚かは見られる写真があることはあるのですが、おらわの魅力を1枚の中に写しとめたと納得できるような写真は、残念ながら撮ることができませんでした。
おわらに通い初めて2回目の初心者が、おいそれとできることではないにしろ、ピント合わせという、写真の基礎に関わるところがうまくいかなかったことには、正直、忸怩たるものを感じています。
この無念は、きっと近いうちに晴らすつもりです。
これで、すっかりおわらにはまってしまった感がありますが(笑)

もう一つの心残りは、たくさんの夜流しに遭遇できたにも関わらず、夜流しの一行と最後まで一緒に歩き通すことをしなかったことです。
あの時には、色々なシーンを写真に撮ることの方に気を取られていたので、そこまで頭が回らなかったのですが、今度は、写真を撮るだけではなく、もっとじっくりおわらに触れていきたいな、と思った次第です。

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おわら風の盆2009 Part2

諏訪町の町流しを見た後は、上新町の大輪踊りへ。
一昨年は、諏訪町の混雑を避けてこちらの通りへ逃れてきたら、こちらの通りも混雑していて
駅に向かうのに難儀した記憶があります。

今年は、時間があるので、じっくりと踊りの輪を眺めます。

おわら風の盆2009 06

大輪踊りは、誰でも参加可ということになっており、実際、服装を見ていると、
浴衣あり、洋服ありで、ホントにまちまちなのですが、
踊りの所作を見ていると、通りすがりの観光客が見よう見まねで踊っているという様子は
全くありません。
もう町流しに参加していない年輩の方とか、風の盆の時だけ帰省している方とか、
そういう方が多いのではないかな、と思いながら見ていました。

考えてみれば、これだけ多くの人が、これだけ華麗におわらを踊ることができるというのは、
本当に驚くべきことで、おわらがこの地域に浸透しているのだなぁということを実感しました。

しばらく踊りを眺めた後、曳舟会館の前で、富山駅のコンビニで買ってきたおにぎりで腹ごしらえをします。
これまで撮影した画像をチェックしながら足休めをして、夜中の1時近くなって、街の散策を開始。

諏訪町の通りは、この時間になっても、かなり人通りがあります。

おわら風の盆2009 07

諏訪町から西町へと入っていくと、西町の会所の前では、若い女性たちが踊りの練習をしていました。

おわら風の盆2009 08

町流しの踊り方と違って、しゃがんでポーズを取ったりしていた所を見ると、舞台での踊りの練習でしょうか。
こういう場面でも、周りには数人の見物客がおり、踊りの様子を見守っています。
同じように、練習で踊っている場面は、鏡町の会所前でも見られました。
こちらは、暗かったせいでうまくMFでピントが合わせられず、ロクな写真が撮れなかったのが残念です。
鏡町では、メインで稽古をしている女性の周りで、さらに若い女性たちが、練習の様子を眺めながら、
自分たちの手の動きをおさらいしている姿を見かけました。

本番ではない練習の踊りの様子に立ち会い、今まで見えなかったおわらの姿を垣間見たような気がして、
嬉しかったです。

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おわら風の盆2009 Part1

前回は、きちんと見ることができたのは上新町の町流しだけで、その他は、帰り際に西町の町流しに出会ったくらいだったのですが、今年の「風の盆」では、かなりたくさんの踊りを見ることができました。

9時頃に八尾入りして、福島・下新町・今町・西町と登っていきます。

おわら風の盆2009 01

この日の夜は取り立てて方針を立てておらず、まずは前回感動した諏訪町と東新町の街並みを味わおうと、諏訪町の通りに入ったのですが、偶然にも、もう町流しを待つ人の列ができかけているではありませんか。
先触れの方の指示にしたがって、通り沿いに座る場所を確保します。
待つこと20分くらい。一昨年は踊りの列が来るのを待ちきれずに駅へ向かってしまった僕ですが、今年は最初から制限時間なしの覚悟です。待望の踊りの列がやってきました。

おわら風の盆2009 02

おわら風の盆2009 03

おわら風の盆2009 05

諏訪町は、日本の通り100選に選ばれているだけあって、石畳や白壁の街並みが美しく、踊りの背景としてうってつけのシチュエーションです。
それだけに、ツアーで来ているような観光客が多く、フラッシュをたいて写真を撮ったり、踊りの最中におしゃべりをしていたり、果てには、町流しの横を、すり抜けて通ろうとする人たちがいたりと、マナー的には決してよい状況とは言えません。
それだけに、踊りの周りで警備している方もピリピリしている雰囲気がありました。
僕は、踊りの列が来るのを待っている間に、前回は列車の時間の関係で待ちきれずに帰ってしまったことや、今年は徹夜するつもりで来たことなどを、たまたま隣に座った人たちとおしゃべりしながら待っていたので、たくさんの人が集まることを、「みんなで楽しむ雰囲気」につなげれば、決して悪いことではないと思いますし、多くの人でにぎわうことが祭りをひきたてる部分があると思ってもいます。
しかし、そのことによるマイナス面を今年の「風の盆」で一番感じたのも、ここでした。

プラス面・マイナス面をふくめた色々な意味で、「風の盆」を代表するのが、諏訪町の状況なのではないかな、と感じています。

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おわら風の盆2009 前置き

おわら風の盆を見るのは、2度目のことです。
最初は一昨年(2007年)でした。
この時のことは、
「おわら風の盆 おどりの写真」
「おわら風の盆 ぼんぼりの写真」
「おわら風の盆に思うこと」
の3本の記事にまとめてありますので、よろしければお読み下さい。

一昨年、初めて「風の盆」を見た僕は、機会があれば是非、もう一度このお祭りを訪ねたいと思いました。
それだけでなく、前回、僕たちが富山へ帰ろうとしていた時間になっても、まだ踊りの続く街、そしてその頃になって街にやってくる人たちの多さを見て、次はぜひ、夜通しおわらを見てみたいものだと思っていたのです。
今年は、うまく休みが合い、1日の夜から2日の夜にかけて、おわらを見る機会を得ることができました。
そして、さらにこの祭りに深く触れることができたではないかな、と思っています。
もちろん、何十年と通い続けている人や、地元でおわらを支え続けている人たちには敵うはずもありませんが、
僕なりに感じたおわらの様々な姿を、記事にしていけたら…と思っています。

ちなみに、今回の僕の旅行日程は以下のようなものでした。
1日に朝に新宿を出発→大糸線経由で富山着が午後5時ごろ到着→富山のホテルでひと休み
→午後9時ごろ八尾入り→徹夜でおわら見物→始発で富山に帰り昼ごろまで睡眠
→午後3時ごろ八尾入り→夜9時ごろまでおわら見物→富山に帰り睡眠
→翌朝富山を発ち飛騨高山へ→午後2時30分発のバスで新宿へ

大糸線と高山を欲張ってみたのですが、後から考えると「おわら」一本に絞っても良かった気がします。

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新宿から富山へ その2

穂高駅から普通列車で南小谷へ向かいます。

途中「仁科三湖」と呼ばれる、木崎湖・中綱湖・青木湖が車窓に見える辺りが、大糸線で最も景色がよいと言われる場所です。

まずは、稲尾駅で停車中に撮った木崎湖の写真。

中央線~大糸線 09

こちらは、簗場~南神城の車窓から臨む青木湖。

中央線~大糸線 10

南小谷駅に到着すると、となりのホームには、あずさ号が停車中。

中央線~大糸線 11

南小谷から北はJR西日本の管内になり、非電化区間になります。
そのため、ここで1時間半の待ち合わせ。

南小谷は、大学に入る年の3月に高校の友人たちと来て以来。
あの時は雪が降っていて、駅の前で記念写真を撮っただけで、すぐに待合室に逃げ込んだのですが、
今回、冷静に駅の周りを眺めてみると、駅のすぐ横を姫川が流れていて、なかなかよい景色です。

ちょうどご飯時だったので、駅前で発見した食堂に。
壁に、鹿の角が飾ってあったり、クマの肝の油が売っていたりと、いかにも山の中の食堂という感じ。
フォッサマグナを境にいろいろな文化が関東と関西に分かれるとはよく言われることですが、
ここはちょうど両者の交わる場所で、名古屋文化圏のものと思われる味噌カツ丼があったので、
それを注文しました。

中央線~大糸線 12

さて、いよいよ南小谷を出発。
ステンレス製だった電車とは異なり、昔ながらのカラーリングのディーゼルカーです。
昔とちがうのは、車内にワンマン運転のための整理券発行機が備え付けてあるところでしょうか。

中央線~大糸線 13

南小谷以北は、姫川に沿って走り、何度も姫川と交差します。

中央線~大糸線 14

頚城大野駅付近では、こんな田園風景も。

中央線~大糸線 15

景色を楽しんでいる間に、糸魚川に到着。
ここから北陸本線に乗り換えて、富山へと向かいます。

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新宿から富山へ その1

9月1日~3日まで、富山の越中八尾に「おわら風の盆」を見に行ってきました。
今回は、富山に着くまでの旅の模様・その1です。
通常、富山までは名古屋経由で高山本線を使うか、長野新幹線と北陸本線を乗り継ぐかするのですが、今回は大糸線経由で行きました。

最初は、新宿駅で撮影した「スーパーあずさ」。

中央線~大糸線 01

そして、車内で食べたお弁当。
中央線は、駅弁が充実していて、特に野辺山駅は素晴らしいのですが、今回は途中下車する時間が取れなかったので、新宿で購入。でも、こちらもなかなか美味しいお弁当でした。一見、ふつうの幕の内弁当に見えますが、沿線の食材を使っているところが「駅弁らしさ」を感じさせます。

中央線~大糸線 02

松本駅で乗り換えて、大糸線へ。

中央線~大糸線 03

今回の旅行は、あくまでも富山がメインなので、到着時刻を勘案すると、大糸線での途中下車は(南小谷での乗り継ぎを除くと)1回しかできませんでした。
どこで降りるか、かなり迷ったのですが、穂高駅で下車することに。

中央線~大糸線 07

穂高駅は、安曇野への観光基地ですが、今回は駅周辺を散策したのみ。
この辺りは道祖神が多いので有名で、駅前にもレプリカの道祖神が設置されていました。

あまり時間が取れなかったので、駅から徒歩5分の穂高神社へ。
内陸にあるにも関わらず、海の神様を祭った神社です。この一帯を支配した安曇族は、もともと北九州で貿易などを営んでおり、その関係で、ここにも海の神様が祭られているわけです。

中央線~大糸線 04

神社の周りには、水路が張りめぐらされ、かなりの量の水が流れています。
湧き水が豊富なのでしょうね。

神社の境内には、上高地から移設されたという道祖神が何体か祭ってありました。
また、神社と駅を結ぶ駅前通りにも、道祖神を発見。

中央線~大糸線 06

そして、再び、穂高駅に戻ってきます。
ここから、再び列車に乗り、南小谷へ向かいます。

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